2015
02.22

「『葬式仏教』を考える」①/④

Category: 未分類
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 「葬式仏教(そうしき ぶっきょうという言葉があります。説明するまでもないかとは思いますが、「葬式仏教」とは、葬式(法要なども含む)をするときしか必要とされない仏教の有り様を揶揄したもので、本来の仏教から隔り、形骸化した仏教の姿を批判するものと受け取ることができます。仏教関係者の中には、この言葉を忸怩たる思いで受け止めている人も多いかと思います。また、逆に、このような批判は、寺院経営の現状に対する無知、無理解によるものと反論する向きもあるかも知れません。
 ところで、仏教の開祖である釈迦は、生涯にわたって一度も葬式を出していなせん。法要もしていません。また、釈迦が亡くなったとき、弟子の誰も葬儀をしていません。
その様子は、次のように伝えられています(「ブッダの教え」青春出版社より)。
 生前、釈迦は、その弟子たちに次のように語ったと伝えられている。曰く、「出家者はブッダ(釈迦自身のこと)の葬儀に関わってはいけない。それらのことは在家信者たちがやってくれるだろう」と。
 釈迦が入滅すると、愛弟子のアーナンダにより、町(クシナガラ)の人々へ伝られました。それを聞いた町の人々は、手に手に香や花、楽器などを持ち、釈迦の遺体を供養するためにやって来ました。
 丸一日、たくさんの町の人々により、焼香、散華、音楽などにより供養が施された後、釈迦の遺体は七日の間、クシナガラ町を巡りました。そして、その後、棺に収められ荼毘に付されました。積み上げられた薪はひとりでに燃え上がったとも伝わります。
 このように、仏教の祖である釈迦は、「葬式仏教」に全く縁もゆかりもありません。また、これ以降も、弟子たちは同様の立場をとっています。
 「では、そもそも本来の仏教の在り方とは何か?」。こんな質問があるのかも知れません。仏教の根本問題に属する事柄であり、軽々に論じることはできませんが、一般論としては、次のように説明されてると理解しています。
 ・釈迦(仏)の教えを伝えること
 ・釈迦の教えを学び、仏になる(周りの人々を仏にする)こと
 ところで、ラジオ放送で、日本でいわゆる「葬式仏教」が誕生したいきさつについて極めて興味深い事実があることを知りました。松尾 剛次氏(山形大学人文学部教授 宗教社会学)の話でした。その要点は次のようなものでした。(以下、②/④につづく)

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