2015
05.13

「一遍上人の伝えたこと」①/④

Category: 未分類
1  [一遍上人]

 宗教の問題を扱ったラジオ番組で、一遍上人(いっぺんしょうにん)のことが取り上げられていました。その中で、一遍上人に「捨聖(すてひじりという異称があることを知りました。このことに興味をひかれ、一遍上人について調べてみることにしました。
 時宗(じしゅう)の開祖、一遍上人(以下、一遍とします)は、鎌倉時代の初め、伊予(愛媛)の豪族の子として生まれました。10歳のとき、母との死別をきっかけに出家すると、13歳で九州に渡り、太宰府で浄土宗の専修念仏にいそしみ、10年ほど修行します。
 25歳のとき、父が死ぬと伊予(愛媛)に帰り、還俗(在家信者に戻る)して家督を継ぎ、結婚をして子(娘)ももうけます。ところが、一族の所領争いに嫌気がさしたのか、29歳のとき再び出家し、ふる里のお寺で、ただひたすら「南無阿弥陀仏」と称名することで阿弥陀の世界に往生できるという、称名念仏(しょうみょうねんぶつ)の生活に入ります。そして、3年後、いわゆる「悟り」の境地に達します。
 浄土信仰を確立した一遍は、35歳のとき、妻や娘を伴って遊行(ゆぎょう)の旅に出ます。高野山に参詣し熊野に赴いた折、熊野権現から神示を受けます。これを機に、同行していた妻と娘、従者を打ち捨てます。また、持っていた経文も一部を除いてすべてを焼き捨ててしまいます。一遍に冠せられた「捨聖」の異称は、ここに由来します。
 その後、一遍は、51歳で亡くなるまで全国を乞食遊行(こつじきゆぎょう)し、「一切を捨離すべし」と説き続けながら、称名念仏による布教に身を投じました。そして、その最期には、持ち物のすべてを焼き捨てさせ、葬式などはせず、骸は野に捨て、獣に施せと遺言したとされます。
 ラジオ番組の中では、「捨聖」の立場を貫き通し、死ぬまで遊行を続けた一遍の生き方について、次のような見解が示されました。「モノ(家族や家臣も含め)を持っていては自由に歩けない…、歩けなければ、持たないことによって見える真理を衆生に伝えられない…、捨てることで、真理を伝えようとしたのではなかったか…」と。
 よく理解できる話だと思いました。しかし、一遍が捨てたものは決してモノばかりではなかったはずです。モノを捨てることで、我欲・我執、とりわけ煩悩の権化とも言える「貪欲(とんよく)」を捨てたのだと思います。
 一遍のたどり着いた「悟り」の境地というのは、捨て切ることの先に見えてくる真理への目覚だったのだと思います。(以下、②/④へつづく)
 

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