2015
04.15

「二つ目の鏡」③/③

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 釈迦の言葉に次のようなものがあります。
 「一切の形成されたものは苦しみである」と明らかな智慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそが人が清らかになる道である(ダンマパダ)
 生きとし生けるものには、例外なく苦しみがあります。現実と理想のギャップに悩み、苦しんでいるのが私たち人間もその中の一員です。運よく思い通りになることもあれば、そうならないこともあります。
 しかし、忘れてはならないことは、それらがすべて一時的な現象であるということです。ある瞬間には思い通りになったとしても、次の瞬間には、また別な思いが湧き、新たな不満のもとになる…。これが私たち凡夫の常ではないでしょうか。結局、いつまで経っても、現実と理想のギャップは埋まることはなく、死ぬまで思い通りにならないということです。
 これが釈迦の説いた「一切皆苦(いっさいかいくという真理です。このことをを理解すれば、人々の心は浄化され救われるということを言っているのだと思います。
 仏教には、欲望を抑え、正しく使っていける「もう一人の自分」がいるという思想があります。先のことを考えず、どこまでも刹那的で刺激的な欲望を追い続けていく自分も確かに自分です。しかし、それとは別に、自我(我欲)から離れ、それを俯瞰視できる、「もう一人の自分」がいるという考え方です。
 一つ目の鏡を見つめる自分も自分ですが、二つ目の鏡でその様子を客観的に眺める自分もあります。二つ目の鏡を通して、自分の中にある「もう一人の自分」の存在に気づいたとき、それまでとは異なる世界が見えてくるはずです。
 それは、人間の唯一の存立条件は、自然の循環の中で、自然に寄り添い、自然ととともに生きていくことにあるという真理ではないでしょうか。「万物と我と一体、天地と我と同根」ということを覚知することです。
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 かといって、生身の人間である以上、仙人のように霞を食べて生きるよう真似はできません。結局、自然に対して、私たち人間がいかに謙虚な姿勢を保てるかが問われているのだと思うのです。
 そもそも増大し続けるエネルギー消費は、「満足」という幻を追って右往左往する私たちの姿そのものです。無限に湧き出す「煩悩(欲)」を有限なもので充たすことはできません。  
 やはり、鍵になるのは『知足(ちそく)』ということではないでしょうか。「身の丈に合った生き方」をするということです。二つ目の鏡(釈迦が説いた真理)に触れることで「もう一人の自分」に目覚め、「知足」という境地に思いを致すとき、「俯瞰力」は「自制力」として働き出し、やがては、それが人間の「本源的な苦悩」を軽減する力となるのだと思うのです。(〆)

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※クリックすると拡大して見られます。

次回は、「目に見えないものの働き」を掲載[5回配信]します。ぜひ、ご訪問ください。 

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