2015
04.11

「二つ目の鏡」②/③

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 今さら言うまでもないことですが、人間は自然の中に生かされている存在です。さもなければ、人間は、切り取られた一輪の花の如く、その命は破綻に向うことになります。
 科学技術の発展は、人間を主人公にして、利便性や快適性の追求という形をとって進められてきました。ところが、それはほとんど例外なく、自然の姿を人間の勝手や都合に合わせて変更させるものでした。
 産業革命以来、人類にとって最も大きな課題は、エネルギーをどう確保するかにありました。石炭から石油へ、そして石油から原子力へ、さらに原子力に限界が見えてくると、次は、シェールガスやメタンハイドレードにと、消費する資源は変わりましたが、いずれも自然の姿に変更を加えることで、それらの確保に狂奔してきました。いえ、科学技術は、常にその足場を「自然を破壊・征服する」ことに置くことでしか、歩を進めることができなかったのです。
 人間としての「本源的な苦悩」とは、科学技術を発展させることが、自らをその存立条件である自然の循環から離脱させることになるという矛盾を抱えながら生きているという事実です。これこそは、人間存在にかかわる究極の苦悩ではないかと思うのです。
 ところが、私たちには、それがなかなか見えません。いえ、見ていても見えないことにしているだけかも知れません。だとすれば、問題は、一層深刻だと言えるでしょう。いずれにせよ、このままでは、未来への展望がありません。そこで提案です。
 先に、鏡は時として「客観力」として働くと書きましたが、それをさらに「俯瞰力」に高めるために、もう一つの鏡が必要なのだと思うのです。冒頭の話に戻すなら、鏡を見ながらシラガ、シワ、シミが増え嘆いている自分を眺める二つ目の鏡です。いわゆる合わせ鏡の要領で、鏡を見る自分を視るのです。一体、そこに何が見えてくるのでしょう。
 そこに見えてくるのは、老化現象というのは、自然の成り行きであり、じたばたしても、本質的には何も変わらない、じたばたするとかえって自分を苦しめることにもなるという、ごく当たり前の事実ではないでしょうか。
 では、人間にとって、この二つ目の鏡はいったい何なのでしょうか。以下私見を述べたいと思います。(以下、③/③につづく)
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