2014
07.21

「負けて得る勝利」②/②

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 ところが意外にも、ジーコ選手はジェンティーレ選手に握手を求め、次のように言いました。
 「今日は、ありがとう。君たちのプレーは素晴らしかった。私たちはイタリアの優勝を祈っている。」
 そのとき、この様子を見ていた両チームの選手たちは、ジーコ選手の姿を、本当のスポーツマンにふさわしい姿だと思うのでした。

 『スポーツヒーロー物語』は、スポーツマンに必要とされる三つのものは何かをテーマとして編集されています。一つ目は「ルール」、二つ目は「審判の判定」、そして、その三つ目として挙げられたのが、ジーコ選手にまつわるこの逸話です。つまり、それは「相手(つまり敵)」であるということです。
 どんなスポーツにも、相手(敵)がいます(以下「相手」とします)。「相手」がいなくては、スポーツは成り立ちません。また、「相手」がいるから、自分も強くなれるのです。しかし、スポーツの試合だから、勝つこともあるし、負けることもあります。そして、負けたときは、とてもつらく、くやしいものです。
 ところが、敗戦した上に厳しいマークで思うようにプレーできなかったジーコ選手は、試合終了後、「相手」のところまで出向き、お礼と称賛の言葉を贈りました。その潔い態度に、まばゆさを覚えるのは私だけではないと思います。
 ゲームの結果を正面から受け入れたジーコ選手のふるまいに、敗者のイメージはありません。それどころか、勝者にも似たオーラさえ想起させ、尊崇の念も抱かせます。
 また、このときのジーコ選手が、決して「敗者ではなかった」ことは、その逸話が後世に語り継がれていることからも明らかだと思うのです。ゲームの勝敗のことを言っているのではありません。そのふるまいが、30年以上経った今でも、私たちの心を打ち、心から離れないということに大きな意味があると思うのです。 

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 飛躍するかも知れませんが、その意味では、今回のブラジル大会で日本人サポーターが見せた、試合終了後のゴミ拾いにも同様のことが言えるのかも知れません。
 今回のゴミ拾いは、日本人にしてみれば、当たり前の行為といってよいでしょう。ところが、世界中のメディアが、このことに称賛の眼差しを贈りました。英国の記者などは「どうやら、当の本人(日本人サポーター)たちは自分たちの行為が注目を浴びることについて、驚き、不思議に感じているようだ」とも伝えています。日本人として、たいへん誇るべきことだと思います。
 このこともゲームの結果とは関係ありません。しかし、それがジーコ選手の場合と同じように、後世に語り継がれていくとしたら、「サッカー日本代表は、試合には負けたが、日本人サポーターは勝利した」としてもよいのではないかとの思いが膨らむのですが…。(〆)

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※クリックすると拡大して見られます。

次回は、「お経で健康になる」を掲載(3回配信)します。ぜひご訪問ください。

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