2014
09.27

「喫茶去」(お茶でも召し上がれ)①/③

Category: 未分類
茶道1212

 最近、毎日、抹茶を飲んでいます。作法は知りません。また、元来、横着なため、特定の作法を学ぼうという思いもありません。アルコールを受け付けない体質であるために、小さな贅沢のつもりで、飲みたいときに点て、気軽に飲んでいます。
 外出先で抹茶をいただくことがあります。しかし、その都度、自分の点てたお茶との味の違いを感じます。どうしたら、このように美味しく点てられるのだろうかというのが、そのときの感想です。
 抹茶の品質、お湯の沸かし方、その温度、茶筅の使い方など、さまざまな要素が味に影響するのだと思います。しかし、今は、そのことにあまりこだわらないようにしています。抹茶を飲むことによって味わうことのできる、ふくよかな時間が好きなのです。
 ところで、ご承知の通り、茶の湯は、「茶禅一味(ちゃぜんいちみ)という禅語もあるように、禅に深い関係があります。茶の苗木は、平安時代の末、日本の臨済宗の祖とされる栄西禅師が日本に持ち帰ったものです。
 詳しく調べてみると、鎌倉時代、臨済宗興隆の基礎を築いた円爾弁円(えんにべんねん)禅師が定めた喫茶儀礼の作法が、茶の湯の原形になったようです。その後、南浦紹明(なんぽじょうみょう)禅師は、禅宗茶令という仏前にお茶を供える儀式を伝えますが、それが京都・大徳寺の一休宗純(いっきゅうそうじゅん)禅師を経て、茶の湯の開祖、村田珠光(むらたじゅこう)へ受け継がれ、さらにその弟子の武野紹鴎(たけのじょうおう)を経て、千利休に継承されて、今日見られるような茶道の確立があったとありました。
 そこで、今回は、禅語の中でも特に有名な「喫茶去(きっさこを取り上げてみたいと思います。中国、唐代に活躍した高僧、趙州(じょうしゅう)禅師にまつわる逸話の中に出てくる言葉として伝えられているものです。「喫茶去」というのは、「お茶を一服いかが」とか「どうぞお茶でも召し上がれ」という程の意味があるようです。次のような話です。(以下、②/③につづく)

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