2014
07.09

「心が動いている」②/③

Category: 未分類
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 その様子を横で見ていた男がいました。男は、髪も髭も生え放題で、汚い身なりをしていました。男は、次のように言いました。
「あれは風が動くでもない。幡が動くのでもない。おまえさんたちの心が動いているのだ」
 その言葉を聞いた二人の僧は、思わず身震いをして黙ってしまったというのです。
 この話はまだ続きますが、この汚い身なりの男こそ、唐の時代、中国禅の本流を形成した慧能禅師(えのうぜんじ)です。禅師が出家する前の逸話として伝えられている話です。


 この話の主旨とはやや離れるかも知れませんが、「心が動く」という意味では、私たちの生活の中に、これに類する事例は多いのではないでしょうか。煩悩を象徴するものとして「貪瞋痴(とんじんち)」がありますが、このうち「瞋」、つまり「怒り」のほとんどは、これに該当するように思います。
 私たちは、「誰々から~と言われた」、「誰々に~された」などとしてよく腹を立てたりすることがあります。ところが、それらはすべて自分自身の「心の動き」によるものです。「怒り」そのものには実体はありません。一つの出来事であっても、心の持ち方次第で、地獄にもなれば極楽にもなります。
 先に例を出した我が家の話も、妻は孫の来訪に伴う非日常的な様子を「嵐」に喩えた訳ですが、孫の来訪に決して本物の「嵐」のような厄介さや疎ましさがあるわけでありません。受け止め方によっては、孫と触れ合える「至福の時」と捉えることもできます。
 では、それを「嵐」と受け止めたり、「至福の時」と受け止めたりしてしまう「心の動き」は、一体何に由来するのでしょう。単に孫がやってきただけのことなのに、なぜ私たちの心はかくも揺れ動き、偏ってしまうのでしょうか。(以下、③/③につづく)

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※クリックすると拡大して見られます。

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