2015
01.25

「阿修羅と帝釈天」③/③

Category: 未分類

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 一つには、国籍や肌の色、言葉、文化、思想、信条等の違いを超えて、すべてを受け入れていくというメッセージでしょう。それが異教の人々であっても受け入れていく懐の深さを示しているのだと思います。しかも、それが戦闘に明け暮れる荒ぶる神々であるとすればなおさらです。その受容力の高さには驚くばかりです。
 また一つには、争うことの愚かさや空しさに目を開かせるためのメッセージでしょう。神話の中では、阿修羅と帝釈天という神の世界での争いが描かれていますが、これはそのまま人間の世界にも通じるものです。我欲と我欲、意地と意地、立場と立場のぶつかり合い、そして報復の連鎖など、人間の争いほど、醜く、愚かで空しいものはありません。まさに心の闇とも言うべき所業です。「夢幻泡影(むげんほうえい)」の極みです。
 仏教は、平和の宗教とされます。その理由は、釈迦の説いた世界観がこのようなたぐいまれなる受容力の高さと、冷徹なまでの深い人間洞察に基づいているからではないでしょうか。

  最後に、争いを戒めた釈迦の言葉に耳を傾けたいと思います。


人は生まれながらに口の中に斧が生えている。
愚かな人間は、他人の悪口を言っては、それで自分自身を斬っている。
 〈スッタニパータ〉  

人に対して怒るな。
自分が正しいと思いこんで、誰かをそしるな。
人に腹を立て、その人が愚かだとか悪意に満ちていると鼓吹するな。
そんなことをすると、自分で災いを呼び寄せてしまう。
あたかも、強い風に向かって塵を投げつけたように
自分に不快なことが戻ってくる
。〈サンユッタ・ニカーヤ〉

この世においては、怨みに対して怨みを以て返すなら、
いつまでも怨みが消えることはない。
怨みを捨ててこそ、怨みは消える。
これは永遠の真理だ。
 〈ダンマパダ〉

 
(〆)


ダンマパダ
  原始仏典の一つで、釈迦の語録の形式を取った仏典  

スッタニパータ
  セイロン(現在のスリランカ)に伝えられた、いわゆる南伝仏教のパーリ語経典

サンユッタ・ニカーヤ
    原始仏典の一つで「主題毎に整理された教え」という意味

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※クリックすると拡大して見られます。

次回は、「鬼は内、福は外」を掲載(3回配信)します。ぜひ、ご訪問ください。
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