2015
01.05

「親死子死孫死」②/③

Category: 未分類

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  人間世界において悪事をなし、死んで地獄に堕ちた罪人に閻魔大王が尋ねた。
 「お前は人間世界にいたとき、3人の天使に会わなかったか。」
 「大王よ、わたくしはそのような方には会いませんでした。」
 「それでは、おまえは年老いて腰を曲げ、杖にすがって、よぼよぼしている人を見なかったか。」
 「大王よ、そういう老人ならば、いくらでも見ました」
 「おまえはその天使に会いながら、自分も老いゆくものであり、急いで善をなさなければならないと思わず、今日の報いを受けるようになった。」
 「おまえは病にかかり、ひとりで寝起きもできず、見るも哀れにやつれ果てた人を見なかったか。」
 「大王よ、そういう病人ならいくらでも見ました。」
 「おまえは病人というその天使に会いながら、自分も病まなければならない者であることを思わず、あまりにもおろそかであったから、その病によってこの地獄にくることになったのだ」
 「次に、おまえは、おまえの周囲で死んだ人を見なかったか。」
 「大王よ、死人ならば、わたくしはいくらでも見てまいりました。」
 「おまえは、死をいましめ告げる天使に会いながら、死を思わず善をなすことを怠って、この報いをうけることになった。お前自身のしたことは、おまえ自身がその報いを受けなければならない。」


 人間にとって「老・病・死」が避けられないものです。いわゆる諸行無常です。そして、その宿命的な事柄に対してどのように向き合い、対処したかが問われています。「老・病・死」を天使としているところが、逆説的で興味深いところでもあります。
 閻魔大王からの問いかけは、今を生きる私たちに誠に耳が痛い、身につまされるものばかりです。このような視点から極楽行き地獄行きが決められるとしたら、間違いなく、私は地獄行きだと思います。
 もちろんこれはあくまでも例え話です。地獄、閻魔大王など、架空のものとして斬り捨ててしまえば、この話に、何の説得力もありません。
 しかし、そうは言っても、この種の話に触れたとき、私たちの心のどこかに引っかかるものがあるのはなぜなのでしょうか。思えば不思議なことです。(以下、③/③につづく)

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