2014
12.24

「仏は働くか?」④/⑤

Category: 未分類

04 
 

 残念ながら、私にはその答えを披瀝できる力量がありません。しかし、その「あるもの」を「あるもの」としてそのまま受け入れていけば、道は開けるようにも思うのです。
 本ブログでは、以前それを「大いなるいのち」と呼んだり、「万物の造物主」、「法」などと呼んだこともありました。また、“Something great”と呼んだこともありました。ただ、どのような呼び名も仮称に過ぎません。それを言葉で表すことはできないからです。それは、誰にも分からないものであり、説明できないものであり、問われても答えようのないものです。また、眼で見ることも、耳で聞くことも、鼻で嗅ぐことも、舌で味わうことも、手で触れることもできません。しかし、そうであっても、それは確かにあります。
 山も川も草も木も、また鳥も獣も虫も魚も、全てが「あるもの」の現成した姿です。もちろん私たち人間も例外ではありません。
 また、太陽や星が輝くのも、花が咲くのも、木が葉を茂らせるのも、また、ウグイスがさえずり、ホタルが光るのも、そして、それを私たちが観たり聴いたりして、美しいとか、心地よいとか感じるのも、全ては「あるもの」によってもたらされるものです。

 結局、究極の第三者というのは、この「あるもの」を「確かにある」と確信できる自分であり、さらにはそのときの自分がその「あるもの」と一つであると感得できる自分だと思います。つまりは、自分自身が「あるもの」そのものであるということです。
 では、そのことの自覚により、私たちにどのような変化が生まれるのでしょうか?  (以下⑤/⑤につづく)

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