2014
12.20

「仏は働くか?」③/⑤

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03  [中村天風]

(「心が空(くう)になったとき 人間はいちばん強くなる 人間の生命の本体は空である 空の世界に入れば 空の世界の驚くべき力が ぐんぐん生命の中に溢れてくる」)

 天風の言う「心が空(くう)になったときの人間」というのが、一つのキーワードになるだろうと思います。それは、先に述べた“第三者”をさらに追求していった先にある、いわば究極の第三者とも言うべきものだと思います。
 禅では、それを「真人」「本来の面目」「主人公」「主中の主」などと呼びます。「這箇(しゃこ)」、「者裏(しゃり)という古い言い方もあるようです。
 ちなみに山田無文老師(昭和に活躍した臨済宗の禅僧)は、それらを自我の自覚以前、自他の対立以前、知識以前、経験以前の『無』としてのお互いの本心と述べています。
 「空」は「から」とも読めるように、何もない状態のことです。しかし、仏教ではそれを単純にからっぽの状態とは捉えません。逆に「あるもの」によって、隈なく満たされている状態だとします。難しい概念ではありますが、敢えて説明を試みます。
 無色透明な寒天が、器の底に一様に薄く凝固している状態を考えてください。器の中は寒天に満たされているのに、無色透明であるために、それを認識することはできません。器を逆さまにしても寒天は流れ出さないので、それを確認できません。しかし、紛れもなく寒天は存在しています。これが「空」と呼ばれる状態です。「絶対無」とも言います。
  では、心が「空」になっているとき、その心を満たしている「あるもの」とは一体、何でしょうか?そして、それが、なぜ煩悩の炎を制御する力となるのでしょうか?   (以下④/⑤につづく)

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