2014
12.16

「仏は働くか?」②/⑤

Category: 未分類

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 阿弥陀仏のようあ固有の仏であれ、身近な死者であれ、それを意識するときに共通しているのは、私たちが、“自分”でもない“相手”でもない、いわば“第三者”の存在に想いを寄せているということです。“第三者”を意識することで、私たちは、自己愛や自己都合から生じる偏った心の動きに影響されることなく、物事を冷静に受け止められるのではないでしょうか。それが「怒りや貪りや愚痴」を制御する力となって働くということだと思います。
 
 ところで、禅では、仏(以下、広い意味での仏)の働きをどのように考えるのでしょうか?以下、私見を述べたいと思います。
 仏という言葉をあまり使いたがらない禅ではありますが、それに言及したものとして、次のようなものがあります。「趙州録(じょうしゅうろく)」という書物の中にある言葉です。
 「金仏(こんぶつ)炉を渡らず、木仏(もくぶつ)火を渡らず 泥仏(でいぶつ)水を渡らず、真仏(しんぶつ)内裏に坐す」
 金属で造った鋳物の仏像は、炉の上を渡ったら熔けてしまう。木で造った仏像は、火の上を通ったら燃えてしまう。泥をこねて造った塑像の仏像は、水の中に入ったら熔けてしまう。本当の仏は、それぞれの心の中に坐っているということです。
 では、心の中にある仏が「怒りや貪りや愚痴」をどのように制御していくのでしょうか?
 これを考える上でヒントになる言葉があります。中村天風(明治から昭和にかけて活躍した日本の思想家、実業家。日本初のヨーガ行者で、天風会を創始し、心身統一法を広めた)の言葉です。                                   
 「心が空(くう)になったとき 人間はいちばん強くなる 人間の生命の本体は空である 空の世界に入れば 空の世界の驚くべき力が ぐんぐん生命の中に溢れてくる」    
  (以下③/⑤につづく)
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