2015
06.10

『役割を果たす』④/⑥

Category: 未分類

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 私は、「菩薩としての役割」と呼びたいと思うのです。菩薩とは、悟り(あるいは仏になること)を求めて修行している人という意味です。仏となるだけの実力や資格を十分に備えているにもかかわらず、敢えてこの世にとどまり、苦しみ悩む衆生の声に注意深く(“意識”して)耳を傾け、その声を聴くや否や、救いに来てくださるとされる方です。「人から喜ばれる」ことを悦びとし、それを自らの使命しているのが菩薩です。
 もちろん菩薩というのは、仏教思想の上での空想の存在ではありますが、私たちが「人から喜ばれる」ことを“意識”して実践しているときは、それに近いのではないかと思うのです。いわば「瞬間菩薩」としての役割です。

 ところで、なぜ、このように“意識”にこだわるかということですが、実は“無意識”の中にあっても「人から喜ばれる」ことがあからです。それは、どのような場合でしょう。
 その一つは「習い性となる」ということでしょう。習慣的に行っていると、それは生来の性質と同じようになるという意味です。「無財の七施」も、それを“意識”して続けていけば、その人の生まれつきのように性質になり、“意識”しないでも、「人から喜ばれる」ことができるようになるのかも知れません。もちろん、そうなるためには、それ相応の積み重ねが必要ではありますが…。
 もう一つ、“無意識”のままで役割を果たしている場合があることを忘れてはなりません。
 私事ではありますが、少し前に孫ができました。初孫でした。日々成長していくその姿に接すると、本当に心が癒され、温かい気持ちになって、思わず知らず笑顔になってきます。もちろん周囲の家族も同様です。
 これは、“孫”としての役割を持って誕生した孫が、その役割を果たし、私を含めた周囲の人々を「喜ばせている」ことに他なりません。ところが、当然のことながら、孫にそのことの“意識”は全くありません。“無意識”のままで見事にその役割を果たしているのです。考えてみれば、実に凄いことだと思うのです。
 その意味では、家で飼っているペットたちも同じでしょう。また、庭に植えられている花々も同様でしょう。動物たちや植物たちに「人から喜ばれよう」などの“意識”はないはずです。(以下、⑤/⑥につづく) 

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