2015
05.29

『役割を果たす』①⑥

Category: 未分類
01.jpg  [空海 像]

 空海(弘法大師)の言葉に、 『医王の目には途(みち)に触れてみな薬なり、解宝(げほう)の人は鉱石(こうしゃく)を宝と見る』という名言があることを知りました。その意味は、「優れた医者の目には、道端の雑草も薬草と見え、宝石が分かる人は、ただの石のかたまりにも宝を見出だす」とのことでした。これを広義に解釈するなら「物事の本質をきちんと見抜くことができる人にとっては、この世の中には無駄なものなど一つもない」となり、極めて仏教的なメッセージであることが分かります。無駄なものなど何もない、無駄ではないからこそ、今、この世の中に存在しているというわけです。
 これを別な表現をするなら「全てのものに役割がある」ということになるのではないかと思います。釈迦が伝えた真理の一つに「諸法無我」がありますが、そのことを空海の言葉で述べたものと言えるかと思います。全ての事物事象は、それ自身で独立して存在しているのではなく、無限の関係性の中で存在しているということです。この世のものは、持ちつ持たれつ、支えられていると同時に支えているということです。つまり、空海の言葉にも示されるように、全てのものには、等しく役割があるということです。
 そこで、役割ということを考えてみました。役割とは、「割り当てられた役目」ということですが、それは、その責任を果たすことと一体でなければならないと思います。つまり、役割を持っただけ(あるいは、与えられただけ)では意味がないということです。役割は、それに伴う責任を果たすことによってのみ意味があると思うのです。
 では、役割としての責任を果たすとはどういうことでしょうか。私見ではありますが、それは「利他(りた)」の実践ではないかと思うのです。平たく言えば、自分の利益はさておき、「人から喜ばれる」ことをすることではないかということです。
 役割についてこんな分類をしてみました。(以下、②/⑥につづく)


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