2015
01.29

「鬼は内、福は外」①/③

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84026m.jpg 〈地蔵菩薩〉
 「地蔵和讃じぞうわさんという御詠歌(ごえいか)があると聞きました。そこには、次のようなことが述べられているのだそうです。
  「日が昇ると、二つ三つと十にも満たずに死んだ幼な子が、冥土の賽の河原で、父恋いし母恋いしと泣きながら、重い石を一つずつ運んでは積み上げて、親兄弟のため回向の塔を造り始める。すると、夕方になると、黒い金棒を持った、地獄の鬼がやって来ては、『お前ら何をする。娑婆にいる親の嘆きがかえってお前らを苦しめる種になる。われを恨むなよ』と言いながら、せっかく積上げた塔を金棒で突き崩してしまう。
 こんなとき、お地蔵さんが現れて『娑婆と冥土は遠く離れている。私を冥土の父母だと思って頼りになさい』といって、子どもたちを裳裾の中に入れたり、抱き抱えて撫でさすったりして、憐れんでくださる。まことにありがたいことである」
 
このような筋の物語のようです。
 この話にはまだ続きがあります。次の日になると、幼子は、また賽の河原にやってきて、同じように石を積み始めます。すると、やはり鬼がやってきてその石の塔を突き崩してしまいます。そして、そこへ、またお地蔵さんが登場して、子どもたちを哀れんでくださる…。賽の河原では、毎日、こんなことが繰り返されているというのです。
 ところが、不思議なことに、お地蔵さんは、鬼を排除したりはしません。お地蔵さんの化身は、閻魔大王(えんまだいおう)とされます。閻魔大王の権勢をもってすれば、賽の河原から鬼を追い出すことなど、何でもないように思われるのですが、それをしないというわけです。
 こんな古詩があります。
 「極楽も地獄も己(おの)が身にありて、鬼も仏も心なりけり」
 極楽も地獄も、自分の身の中にあるものであり、その身が鬼になるのも仏になるのも自らの心次第であるという意味だと受け止めています。鬼を排除して、仏だけの社会にしたいというのは、誰もが望むことでしょう。しかし、凡夫には、なかなかそれができないということを詠ったものでしょうか。(以下、②/③へつづく)

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