2014
11.22

『どっこいしょ!(六根清浄)』③/③

Category: 未分類
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 このように、私たちの「六根」つまり感覚器官(感覚機能)は、あてにならないということです。「六根清浄」…、それは、「わたし」に頼らないで、無心(本来の心)のままに臨むことの大切さを言っているのではないでしょうか。足下に100メートルの断崖があったとしても平然と歩いていける力、これが「六根清浄」から生まれる力、言い換えるなら「無心」から生まれる力だと思うのです。
 このように考えてくると、「六根清浄」、いえ、「どっこいしょ」は、感覚器官(感覚機能)とは全く別な形をとって、私たちの内側から発せられる、いわば「天の声」のようにも思えてきます。曰く、「無心になれ、無心になれ。そうすれば素晴らしい力が湧いてくるぞ」と。
 最後に詩を紹介したいと思います。作者不詳です。

 無心で臨むとき 最高の力が発揮されるという。
 そのとき 心の中では何がなくなるのか。
 なくなるのに それができるのはなぜか。
 それをさせるものがあるとするなら それはいったい何か。
 それこそは 時空を超え
 大宇宙の中に吸収され 溶け込み 大宇宙の営みと一体となった自分
 「眼」もなく「耳」もなく「鼻」もなく「舌」もなく「身」もなく「意識」もない自分
 「仏」と呼ばれる自分 臨済が説いた「真人」という名の自分
 私たちがそれに気づけないのは 
 それが あまりにも近くにあり あまりにも遠くにあるから。
 それゆえに 
 「悟り」に至るには 
 気の遠くなるような長い道のりを歩まねば辿り着けないとも言えるし
 もうすでに到達しているとも言える。
 だから いま ここを 生きていけばいい。


 日々の生活の中で、私たちが「六根」を「清浄」にするには、ただそのことに成り切る…、そして、心を込めそのことに当たっていく…、こんなことしかないのだろうと思います。そのとき生まれる力がどのようなものか分かりません。でも、そこに最高の力が発揮されることを信じたいのです。
 これからも、ときあるごとに、遠慮なく「どっこいしょ」とやっていきたいと思っています。(〆)



32-1 dokoisyo 

※クリックすると拡大して見られます。

次回は、「『ハイ!』で悟る」を掲載(3回配信)します。ぜひ、ご訪問ください。


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