2014
08.10

『願えば仏に』②/③

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img_430460_6479815_7.jpg [東大寺 盧舎那仏(るしゃなぶつ) ]

 ところで、『華厳経(けごんきょう)』(華厳宗で拠り所にされている経典)のなかに、「初発心時便成正覚(しょほっしんじべんじょうしょうがく)」という言葉があることを知りました。初めて仏道を歩もうと心に決めたとき、その瞬間に、仏になるだけの「正覚(しょうがく)」は得られている…、こんな意味があると聞きました。「正覚」というのは、「悟り」、さらには「成仏」とも同意です。 ただし、念のために言い添えますが、この場合の「正覚」とは、あくまでも生きたままで仏になることを意味します。
 『華厳経』によれば、仏とは宇宙に広がる極めて大きな仏であり、私たちからすれば無限の彼方にある存在です。(余談ですが、これが盧舎那仏で、東大寺の大仏は、この仏をイメージしたものです)。したがって、私たちが仏になるには、途方もない時間が必要になります。そのためには、何度も何度も生まれ変わらなければなりません。
 このように見ると、『華厳経』の教義は、内部矛盾を起こしているようにも思えてきます。仏教徒であれば、仏になることを目指して、仏道を一歩一歩進んでいくというのが基本姿勢であるはずです。しかし、このように仏が手の届かない存在であるとしたら、私たちが仏道を歩む理由はなくなります。いつまで経っても悟ることも、成仏することも叶わないのですから…。
 しかし、その一方で、『華厳経』は、私たちに素晴らしい救いの手を差し伸べてくれていることになるわけです。それが、「初発心時便成正覚」という教えです。私たちが仏になろうと思ったその瞬間に、正しい「悟り」を得ている、つまり「成仏」しているという驚くべき発想の転換を示しているのです。(以下③/③につづく)


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