2014
04.24

「衆生本来仏なり」④/⑤

Category: 未分類
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 以下、その前提に立って、私見を述べてみたいと思います。「私たち自身」の中にも仏があると言いましたが、それ身体だけに限らず、心にもあるのではないかということです。
 「般若心経」には「色受想行識」と言う言葉が出てきますが、これは肉体と精神のことを指したものです。「色」は肉体、「受想行識」は精神です。そして、これらは、全て「空」であるとされます。「空」は仏とは同義です。したがって、仏は肉体のみでなく、心にも宿るということです。
 こんなことを言うと、いぶかしく受け止められている読者も多いと思います。このことについては、以前、子ども向けに綴った本ブログ「仏さまはいらっしゃる」でも触れましたので、少し長くなりますが、一部を再掲させていただきます。
 
 「仏さま」には、姿がありません。だから、その姿を見ることができません。でも、姿は見えなくても、「仏さま」を感じることはできます。なぜかというと、「仏さま」に姿はありませんが「心」はあるからです。皆さんは、その「心」を通して、「仏さま」を感じることができるのです。それは、どんなときでしょうか。
 皆さんは、よいことをしたとき、嬉しくなるでしょう?それは、皆さんの体の中の「仏さま」が喜んでいらっしゃるからなのです。また、きれいな花を見たとき、嬉しい気持ちになるでしょう?それは、皆さんの体の中の「仏さま」が嬉しい気持ちになっていらっしゃるからなのです。
 また、街の中で体の不自由な人やお年寄りが苦労されているのを見ると助けてあげたいなと思うことがあるでしょう。それは、皆さんの体の中の「仏さま」が助けてあげたいなと思っていらっしゃるからなのです。また、だれかが大きなケガや病気をしたり不幸になったりした様子を見ると、心が苦しくなるでしょう?それも、皆さんの体の中の「仏さま」が苦しくなっていらっしゃるからなのです。 
 また、悲しい目にあうと悲しい気持ちがするでしょう?これも、皆さんの体の中の「仏さま」が悲しい思いをしていらっしゃるからです。そして、友だちと喧嘩をして、意地悪をしたとき、少し時間が経つと悲しい気持ちになることがあるでしょう?これも、皆さんの体の中の「仏さま」が悲しい気持ちになっていらっしゃるからなのです
。(以下、⑤/⑤につづく)  


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