2014
04.20

「衆生本来仏なり」③/⑤

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110925azumaiyoshiosenseinokoto.gif [東井義雄氏]

 結局、釈迦が説いた「人の依るべき真理」に気づくには、プロセスが必要だということでしょう。私たち凡夫にあっても、ただ腕をこまねいていては、その真理にたどり着けないということなのだと思います。それには、問題意識に目覚め、目的意識を抱きながら努力すること、そして、何よりも、そのことを通して、やがてはその真理を体得できるという強固な信念が必要なのだと思います。

 ところで、仏とは一体、何なのでしょうか?どのように考えたらよいのでしょうか?『般若心経』の一節に「不生不滅、不垢不浄、不増不減」、また「無眼耳鼻舌身意」とありますが、生まれもせず、滅することもなく、汚れることもなく、清らかでもない、増えることがなく、減ることもない、そして、見ることも聞くことも、嗅ぐことも、味わうことも、触れることもできないものであることは確かです。しかし、私たちの中に例外なくあるといいます。考えれば考えるほど、不思議なことです。
 そこで、一つの手がかりとして、青山俊薫氏(愛知専門尼僧堂堂長)の講話の中で紹介されていた、たいへん興味深い話を知りました。著名な教育者であり、浄土真宗の僧侶でもあった東井義雄氏にかかわる実話として紹介されていました。
 尊敬申し上げていた東井義雄先生が、以前夜遅くお寺にお帰りになったとき、深夜1時ころに電話が入ったそうです。受話器をとってみると、男の方の切羽詰まった声で
 「世の中の人がみんな私を見捨てた。裏切った。生きていく勇気がなくなったから、今から首を吊って死のうと思う。けれど一つだけ気になることがある。南無阿弥陀仏と唱えて死んだら救ってもらえるか」
という電話だった。
 「待ってください。あなたの気まぐれな『南無阿弥陀仏』くらいで救われるものですか。そんなことよりも、あなたはまわり中が見捨てた、裏切ったと言うけれど、一刻も見捨てずに『つらかろうけれど生き延びてくれよ』と働きかけ、呼びかけてくださる、その方の声が聞こえないのか」
 「そんな声、どこにも聞こえやしない」
 「死のうとしているそのときも、あなたの心臓がどきどきと動いているでしょう。あなたの呼吸が出入りしているでしょう。死なせてなるものか、乗り越えてがんばってくれよと、あなたの心臓を働かせ、あなたの呼吸を出入りさせてくださっているそのはたき、それを仏と呼ぶんだ。その他に仏がいると思うか!」…

 これが、仏のすべてを語ったものでないことは言うまでもありません。本ブログ「答えないという答え」でも書いたように、仏を言葉にすることはできません。しかし、仏教によれば、仏は、森羅万象に現れています。その意味では、東井氏の言うように、「私たち自身」の中にも仏があるということです。
(以下、④/⑤につづく)


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