2014
04.16

「衆生本来仏なり」②/⑤

Category: 未分類
84025m.jpg [釈迦像]

 約2500年ほど前、仏教の創始者である釈迦は、その最期のとき「自灯明、法灯明」という言葉を残しています。愛弟子の阿難尊者(あなんそんじゃ)からの「あなたの死後、誰を頼りにすればよいのでしょうか?」という問いに対する答えだったと伝えられています。
 「自灯明」とは、「自らを拠り所にせよ」ということです。しかし、これは、決して自分勝手なふるまいをしてよいということではありません。「諸行無常(永遠の変転性)」、「諸法無我(無限の関係性)」という宇宙の真理に随って生きなさいというアドバイスです。「法灯明」も同じ意味です。
 したがって、「拠り所となる自分」とは、この宇宙の真理に目覚めた自分のことであり、それこそが自らの中にいる仏ということなのだと思います。
 また、釈迦は、「学ぶことが少ないものは牛のように老いる。その肉は増えるが、智恵は増えない」とも述べています。これなどは、努力なくして仏になることは叶わないという、釈迦からの警句とも受け取られます。 
 さらに、時代は下りますが、白隠禅師(江戸時代に活躍した臨済宗の傑僧)、は、その『坐禅和讃』の中で「衆生本来仏なり…衆生の他に仏なし」、さらに「この身すなわち仏なり」と、短い和讃のなかで、三度にわたって人に仏性があることを説いています。
 しかし、ご存じのように、禅宗(とりわけ臨済宗)にあっても厳しい修行があります。真冬の時期、7日間にもわたって、横になることも許されずに行われる坐禅の修行も、難解な公案(禅問答)への挑戦もその中の一つだと思います。
 もちろん、これらは出家者に求められる、いわば特殊な努力の在り方ではあります。一般の人々にこんな課題をこなすことは不可能です。
 しかし、宇宙の真理に目覚め、自らの中にいる仏(もう一人の自分)を見つけるという仏教徒に共通する最終目的にかわりはありません。(以下、③/⑤につづく)   

IMG_8928.jpg 
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