2014
09.19

「二つの円」から⑤/⑤

Category: 未分類
kyoto12-12.jpg      
 私が、なぜこれまでにして「心の異名」とされる禅にこだわるかということですが、禅を通して世界を見たとき、そこに広がっている「自他一如」の世界、つまり「絶対平等」の世界に大きな魅力を感じるからです。禅の眼から見れば、全てのものは一元に帰します。何の差別もありません。Something greatにより営まれる世界です。
 先にも書いたように、デカルトの説いた「我」は、近代文明の発展に大きな役割を果たしました。しかし、今回の原発事故にも象徴されるように、今、文明そのもの意味を問い直さねばならない時代に入ったと言えます。文明の持つ「光の部分」と「陰の部分」をしっかりと見極める必要があります。
 文明の「陰の部分」への警戒を疎かにした先にあるのは、果てしない欲望の暴走だけです。無人兵器やロボット兵器の開発、あるいは化学兵器の開発は、絶対に許してはならないと思います。 また、様々な形で行われている遺伝子操作も本来は避けるべきでしょう。 
  デカルトの説いた「我」を蔑ろにして、私たちの社会生活は成立し得ません。しかし、その「我」も、「絶対平等の世界」から生まれ、やがては「絶対平等の世界」に還っていく運命にあります。すべては、Something greatの一部であるということです。この事実は、永遠に揺らぐことはありません。問題は、それを私たちがいかに実感し、どう生活の中に生かしていくかだと思います。
 この揺らぎない事実に照らして、私たちの生活を見直したとき、その先に見えてくるのが吾唯足知(われただたるをしるという生活スタイルになるのではないでしょうか。自らの奥底に潜む「貪欲(とんよく」に向き合い、これを少しでも抑えながら生活していくことです。
 図らずも、私のニックネームである「じ・た・る」の語源にたどり着くこととなりました。読者の皆さんからのご感想をお待ちしています。(〆)

IMG_4299.jpg 
※クリックすると拡大して見られます。





スポンサーサイト

トラックバックURL
http://zitaichinyo.blog.fc2.com/tb.php/285-d58a1675
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top