2014
09.15

「二つの円」から④/⑤

Category: 未分類
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  全くの私見ではありますが、仏教の考え方によれば、キリスト教の思想も、結局は「我」という範疇に含まれるということなのだと思います。その成り立ちや歴史への影響力、思想的な広がりなど、デカルトの示した「我」とはスケールこそは異なります。しかし、そこで説かれているのはキリスト教の世界観に裏打ちされた「我」です。批判を恐れずに言うなら、主イエス、あるいは創造主に対して跪く「我」ということになるのかと思います。
 仏教を説いた釈迦は、紀元前4世紀の人です。17世紀に登場するデカルトの存在やその思想を知るよしもありません。しかし、このように見てくると、仏教の思想は、その発生の時点からすでに、キリスト教の思想も、またそれに対峙する形で登場したデカルトの思想をも否定する形で成立していたと言えるのではないでしょうか。いわゆる「否定の否定」です。
 では、「我」を否定した先にはどのような「我」があるのでしょうか?これについては、先にも書いたとおりです。テーブルの上に描いた最初の円は、消滅します。同時に、その内側にあった小さな円が無限に広がっています。その意味では、その上に円が描かれた「テーブル」そのものが「我」ということになります。
 これを別の言葉で置き換えるなら「大宇宙」です。そこは「我」に満たされ、「我」でないものはありません。「我」という呼び名さえも不要です。そもそも「我」などというものは、本来なかったのですから…。
 こんなことを言うと、何もないものを追求することに意味があるのかという声が聞こえてきそうです。 (以下、⑤/⑤につづく)

IMG_3560トリ修正 
※クリックすると拡大して見られます。


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