2014
09.07

「二つの円」から②/⑤

Category: 未分類
座禅姿~1 

 そこで、デカルトの「我」と禅が説く「我」との違いです。このとき、とっさに「禅とは心の異名なり 心は禅の身体なり」という一文が思い浮かびました。そして、これを足がかりにして、説明を試みました。ただし、このとき、「我」と「心」は、同意語としました。
 ただ、この一文そのものがたいへん難解です。一般に「禅」というと、通常「坐禅」が連想されるのではないでしょうか。脚を組み、眼を半眼に閉じて瞑想することのが「坐禅」です。ところが、禅では、「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」に禅があるとも言います。「歩く」「止まる」「坐る」「横になる」ことにも禅があるということです。また、服を着ること、食事をすること、トイレに行くことにも禅があると言います。
 それが「心」とどのような関係にあるのか。異名と言うことではありますが、ここで述べられる「心」と「禅」とは、その本質は同じものなのか、それとも別のものなのか。また、「心は禅の身体である」というのは、何のことを述べたものなのか。 うまく説明できず、かえって混乱させてしまうのではないか。そんな思いも抱きながらも説明を初めました。      
 先ず、机の上に円を描き、これをデカルトの説いた「我」に喩えました。人間の理性に基づく、いわゆる「近代的自我」に当たる部分です。したがって、その外側は、キリスト教の思想に彩られた世界ということになります。
 次に、その内側にそれより小さな、二つ目の円を描きました。そして、この円を「禅」に喩えました。(以下、③/⑤につづく)  

IMG_4437.jpg 
※クリックすると拡大して見られます。

 

スポンサーサイト

トラックバックURL
http://zitaichinyo.blog.fc2.com/tb.php/282-b12c6698
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top