2014
03.07

『稲むらの火』④/⑤

Category: 未分類
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 布施というと、一般には、他人様(ひとさま)にお金や物をあげることなどと理解されています。私も、自宅で法要を営んだときには、ご足労いただいた住職に、お礼の気持ちを込めて金銭を渡します。また、お寺や神社に参拝するときには、賽銭箱に小銭を投げ入れます。これらも布施でしょう。しかし、仏教では、布施には大切な要件がいくつかあるとされます。
 その一つは、見返りを求めてはならないということです。これだけの施しをしたのだから、それにふさわしいご利益や功徳があるはずだというのでは本当の布施にはなりません。布施に、欧米流の「ギブ・アンド・テイク」の原則は、当てはまらないということです。
 二つ目には、施す物が、施すその人にとって大切な物であるということです。不要な物をいくら施したとしても、それは布施にはなりません。施したことにより、結果として、その人の生活が困窮するような状態になることが、本当の布施だということです。
 そして、三つ目には、自分ができる限りの施しをするということです。極端な言い方をするなら、自分の全財産をそっくりそのまま施すことです。ふだん私がしているような、少しばかりの施しでは、本当の布施とは言えないということでしょう。
 自分に必要な物の全てをそっくりそのまま施し、何の見返りも求めない…。そんなことをしたら、その後の自分の生活は一体どうなるのか…?そんなことをしたら人間の日干しになってしまうではないか…?
 こんな疑問も湧くかと思います。また、この他にも①施した自分、②施した相手、③施したもの、三つを全て忘れることも布施の要件だとされますから、私のような凡人には、極めて高いハードルです。その意味では、たいへん現実性に欠ける話ではあります。
 このことについて、仏教では、次のように説明します。
                        (以下、⑤/⑤につづく)
IMG_2902.jpg 
※クリックすると拡大して見られます。


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