2014
06.11

「Bad news is good news!」②/⑦

Category: 未分類
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 “Good  news  is  no  news”(グッドニュース イズ ノウ ニュース)これが、その答えです。いいニュースを載せても、世間の関心は集まらず、金にならないから“ニュースにならない”ということなのでしょう。
 「人の噂は蜜の味」という言葉もあります。なぜか人間は、悪い噂に敏感で、他人の不幸をおもしろがったり、喜んだりする傾向があるものです。たいへん厄介な癖の一つと言えるでしょう。
 話は少し逸れますが、「主語がメディアを変えていく」と題した論説で、森田達也氏(作家・映画監督)が、次のように述べていたことを思い出しました。
 「ジャーナリストや報道に携わる人間は、主観からは決して逃れられないと自覚しながら、中立を模索する必要がある。時として、人は絶対的な中立公正など存在しないということを忘れ、あたかも自分が絶対的な正義であると勘違いしてしまう。」 
  私たちがマスコミの報道に接するときには、常にこのことを肝に銘じなければいけないのだと思います。

 ところで、人間の悪い癖はと言えば、やっかみ、嫉妬心もその一つではないでしょうか。「隣の家に倉が建つと腹が立つ」という諺もあるように、他人の幸せを羨み逆に憎々しくさえ思うことがあります。なんともおぞましいことなのですが、人間の心には間違いなく、こんな一面もあります。
 ところが、いつも言うように、仏教では、このような負の心の働きは、人間本来のものではないとされます。山田無文老師は、次のように語っています。
 「お互い(人間)の心の本質というものには、本来、非はない。一念の非もない。一念の乱れもない。一念の間違った考えもない」と。
 仏教によれば、生まれたままの心は、誰もが清浄無垢できれいな心であり、負の心(煩悩)は後から加わったものであるということです。つまり、煩悩というのは、人間本来の「清浄な心」に対して、あくまでも「仮の心」であるということです。私は、この教えにいつも救われるのです。(以下③/⑦へつづく)

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コメント
今回のお話に関しては、以前書いたコメントと重複することが多かったので、感想ではなく、「腹」について書いてみたいと思います。

これまで述べてきたとおり、「内臓感覚」は重要なものです。が、中々つかめないのもまた事実です。

では、その内臓感覚を強くするためにはどうするか? ということですね。

そのひとつの答えが、「腹圧」をかけた呼吸法をすることです。

具体的に言うと、下腹部(昔風に言えば丹田)に力を入れて、膨らませて下腹部から横隔膜を押し上げて、空気を吐き出す「丹田呼吸法」ということになりますが。

そして、お能の「謡」はその丹田呼吸法をベースにしています。

また、この丹田呼吸法を一定のリズムとペースを保ちながら、持続的に行うのが、仏教の「読経」です。

要は、読経と謡は常に腹圧を腸にかけていて、それによって、内臓感覚を鍛えていた、別の言い方をすると、腹を練っていたわけですね。

そして、その鍛えられた内臓感覚が、「色」と「空」とを結ぶ、「あわいの力」になっていくと。

その一方で尺八奏者の中村明一さんによると昔の日本人は、日常的にこの「丹田呼吸法」をしていたそうです。

どういうことかというと、昔の日本人は着物を着ていました。

着物は、西洋のスポンがベルトで固定するのと違い、不安定な帯で固定します。

すると、長時間着ていると着崩れを起こすわけです。

では、着崩れを防ぐにはどうするかというと、意識的(あるいは無意識的に)下腹部に力を入れて膨らませ、その状態をキープしながら、呼吸をする必要があったわけです。

この呼吸法は、間違いなく丹田呼吸法の一種でしょう。

そして、中村さんはその呼吸法があまりにも、密かに行われていたことから、「密息」と名付けました。

そして、この密息が尺八を吹奏するときに最も適した呼吸法であり、尺八云々を抜きにしても、日本人が古来より受け継いできた、精神性や文化はこの「密息」が土台になっていると、述べています。

この辺りは、「「密息」で身体が変わる」という本に書かれていますので、ご興味があれば検索してみてください。

ちなみに自分は、ネットで「水道管尺八」と称するモノがあることを知り、作ってみてなんとか音を出そうとしているところです。
何しろ本物の尺八はお高いので。
ただ、いつ演奏できるようになるのかは全く分かりませんが(笑)。

もっとも安田登さんによると、和の楽器は音が出るまで100年かかることもあるそうなので、演奏することよりも、吹くこと(吹き続けること)に意義があるのでしょうが。

それと、安田登さんも能楽師の立場から「和の呼吸法」について、中村さんと同様の考察をしています。

あと、中村天風がカリアッパ師から「クンパカハ」をやってみろと言われて、「やり方が分かりません」と答えたところ、師から「お前はすでにできているじゃないか」と言われてびっくりしたそうです。

天風は、何のことは無い無意識のうちに、着物を着た状態でなおかつ、脱力した姿勢を取っていただけなのでしょう。

それが、結果的に下腹部に力が入りなおかつ、肛門が絞められて、かつ脱力していた状態であり、それが結果的に「クンバカハ」になっていたと。

それも、天風が「密息」を受け継ぐ「日本人」だったからなのでしょうね。
我無駄無dot 2014.06.11 16:06 | 編集
今回のテーマに関して思うのは、最近話題になっている、「美味しんぼ」騒動です。

この話は、作中における「鼻血」から始まって、風評被害がどうのこうのと、いろいろと騒ぎになってるわけですが、これにかんして、じ・た・る様は仏教関係者として、どう思われているでしょうか?

自分としては、今回の件は風評被害がどうのこうのと言うよりも、もっと普遍的な「対立の構図」が背景にあると思うのですが。

要するに、人はある一つの事柄に対して、一定の「先入観」にもとづいて物事を判断して、しかも自分の持っている先入観を正当化して、そこから外れるものを敵視する傾向を持ってます。

今回の騒動も、原発がどうのこうのと言うよりも、前述の先入観にもとづく、「敵視」が行われていると思うのですが。

それと、あと、「陰陽」の関係性も考慮すべきだと思いますし。
例えば、晴れれば天気が良くて雨が降ると天気が悪い。こういう言い方をよくします。この場合は、晴が陽で雨が陰です。
ですが、晴続きで、雨が降らないと渇水による給水制限や、農業に対する影響が出てきます。

その後雨が降れば、「恵みの雨だ」となりますが、これが降りすぎると洪水が発生するわけで、結局はどんなに「良い」と思えることでも、過剰になるとそれによる悪影響(被害)が発生するわけですから。

それと、今回の騒動が拡大した最大の原因が、取材した雁屋哲氏の行動や、掲載した出版社の姿勢が「火事場泥棒」つまり、他人の不幸に付け込んで金もうけをしようとした、と受け取られたことにあるのと思うのですが。
我無駄無dot 2014.06.12 14:47 | 編集
我無駄無様
今回の「美味しんぼ」騒動ですが、詳細に見聞したわけではありませんので、間違っているかも知れませんが、コメントさせていただきます。大筋において、我無駄無様のご意見に賛同します。
 ブログの中で引用した森氏の言葉、「ジャーナリストや報道に携わる人間は、主観からは決して逃れられないと自覚しながら、中立を模索する必要がある」にもあるように、私たち凡夫は、ついつい自分の見方を絶対的なもののように錯覚してしまいます。先入観の暴走は、自らの不完全さ、未熟さ、至らなさに対する自覚の欠如、つまりは謙虚さの不足がをもたらすのだと思います。
 ただ、これは人間が人間である以上、避けて通れない負の特性でもあります。それだけに、問題は根深いですね。
 私見ですが、釈尊が「中道」の大切さを説いたのは、そんな人間の負の特性にいち早く気づいたからだと思います。何事も表裏は一体として現成してきます。しかし、対極には真理は存在しないということです。偏らない生き方こそ、真理だということです。
 雁屋哲氏も行政側も、互いにもっと謙虚になり、冷静になって、「是々非々」の態度で臨むことがよいと思うのですが・・・。しかし、そこは “Bad news is good news”といいマスコミのおぞましい意向が働くのでしょう、簡単に収束ということにならないようのですね。まさに、「無明」といったところですね。偉そうですね(笑)。
 以上、回答になっていないかと思いますが、送信させていただきます。
(追伸)
 前回のコメントの中で「夢幻泡影」とするところを「幻影泡影」と書いてしまいました。訂正します。
じ・た・る dot 2014.06.12 18:05 | 編集
じ・た・る様
返信ありがとうございます。
「謙虚さの不足」、やはりこれは大きいと思います。

また、論語にこうあります。「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」と。

これは、一定の範囲を中心として考えたとき、「過剰」であるよりは、「及ばない」ほうがまだましである。こういう意味になりますが、儒教における「中庸」の大切さを説いたものです。

ただ、この「中庸」と仏教の「中道」は似て非なるものなのですが。

それと、メディアは昔から「第四の権力」と呼ばれていて、それだけ強い影響力を社会に対して持っていますが、それだけにこそ、求められる「謙虚さ」があるのでしょうね。

ただ、今現在はネットが、ある意味で既存のメディア以上の力を発揮し始めています。

言うなれば、「第五の権力」の誕生ですね。
この第五の権力の問題点は、ネット環境さえあれば誰でも持ててしまうことでしょう。

実際の話、スマホ一つあれば、スマホを使って動画を撮影して、それを動画共有サイトに投稿したり、ツイッターで有ること無いことを流す。こういうことが小学生にすらできるのですから。

これは、ある意味空恐ろしいことと思います。

少なくとも、既存のメディアに関わってきた人たちは、それ相応のメディアに携わる者としての「教育」を受けているはずですが(それでも、目先の視聴率や売上目当てのヤラセや、今回の事例のようなケースが起こるわけですが)、安易にスマホを使う小中学生たちに、そういう「教育」がなされているとは到底思えませんし。

そのため、ネット関係のトラブルが、うなぎ昇りで増えているわけですから。

結局、戦後の日本においては、「人間としてどう生きるのか」ということが、どこかに置き去りにされてきたから、こういう事例が起こるのだと思います。

それと、「中庸」及び「中道」というバランス感覚が失われたことも大きいでしょうし。

まあ、このコメントを書いている自分自身も、ある意味で「第五の権力」を行使していると言えるので、それだけ「自戒」しなければとも思うわけですが。

そういう意味でも、「禅」を中心とする仏教や、論語などの儒教思想を中心とする、東洋思想にもとづく価値観を取り戻す必要があると思うのです。

今の社会は、ブレーキの壊れた車と同じで、ただやみくもにアクセルをふかしている、そういう状況ではないかと思います。

そんな中で、唯一ブレーキの役割を果たせるのが、「禅」などの東洋思想だと思うのですよ。

あと、雁屋氏に関しては、美味しんぼで得た現存する利益を、すべて福島に寄付するとかすれば、事態が収拾するのかもしれませんね。
我無駄無dot 2014.06.12 23:49 | 編集
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