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2019
03.02

『法華経』について ④/⑤

Category: 未分類

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 『法華経』の中の「譬喩品(ひゆぼん)第三」に、そのことを暗示する「三車火宅(さんしゃかたく)」の喩えがあります。


 ある資産家が豪邸に住んでいたが、その家の中で子どもたちが遊んでいたとき火事になってしまう。資産家は、息子たちに逃げるように促すが、遊びに夢中になっていて耳を貸そうとしない。そこで資産家は、息子たちに対して「玩具の羊の車、鹿の車、牛の車をあげるから出ておいで」と呼びかけた。すると息子たちはわれ先にと家を飛び出し、火から逃れた。ところが資産家は、玩具の乗り物ではなく、本物の白い牛が引く車(大白牛車)を与えた。


 燃え盛る家とは、私たちが生きる社会のことであり、遊んでいる子どもたちとはその中で右往左往しながら生きている私たちのことです。羊の引く玩具の車と鹿の引く玩具の車は小乗仏教の教えを、牛のひく玩具の車は大乗仏教の教えを指します。そして、本物の白い牛が引く車が、釈迦の説いた『法華経』の教えを指しています。
 『法華経』には、この他にも物語性のある譬喩(「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)喩」「良医治子(ろういちし)喩」など)がたくさん残されていますが、いずれも小乗・大乗の思想を発展的に統合しようとする立場から教えを説いたものです。

 重厚にして長大な『法華経』の教えであり、その内容のすべてに触れることはできませんが、最後にテキストで「『法華経』のクライマックス」と評されていた「常不軽菩薩品第二十」について紹介したいと思います。
  ここには 常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)という菩薩が登場します。この菩薩は、出家の男女、在家の男女を問わず、出会う人すべてに近づいて次のように告げたとされます。次は、テキストからの引用です。


 尊者がたよ。ご婦人がたよ。私はあなたがを軽んじません。あなたがたは、軽んじられることもありません。それは、どんな理由によってでしょうか。あなたがたは、すべて菩薩としての修行を行いなさい。あなたがたは、正しく完全に覚った尊敬されるべき如来になるでありましょう。


 これに対して人々の反応はどうかというと、そのほとんどが嫌悪感を覚え、怒り、罵り、危害を加えたとあります。しかし、それに対しても常不軽菩薩は、耐え忍び、「私はあなたを軽んじません」と言いながら、礼拝し続けます。
 出家であるか在家であるか、また男か女かを問わず、出会う人すべてに対して同様に振る舞ったという部分に『法華経』を貫く平等思想が端的に示されているのだと思います。これは、当時、インド社会にあった身分差別や男女差別を超越していこうという意思の表れとも受け止められます。(以下、⑤/⑤につづく)
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2019
03.06

『法華経』について ⑤/⑤

Category: 未分類

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 しかも、この話には不思議なことがあります。常不軽菩薩は経典を読んだことがなく、釈迦の説いた教えも知らなかったという設定になっています。これは何を意味するのでしょうか。
 テキストには「『法華経』が説く菩薩行の実践モデル」であるという指摘がありました。


 『法華経』における救済とは、人間対人間の具体的な関係性を通じた対話によるものであるとされています。目の前にいる人間に語りかけ、罵られようが誤解されようが、それでも誠意を貫き通していく。そのことによって誤解を解き、理解され、互いに意思疎通がなされて両者が何かに目覚めていくというあり方です。(中略)
 『法華経』は誰もが成仏できるという平等思想を説いていますから、たとえ経典を読んでいなかったとしても、この菩薩のふるまいはすでに『法華経』の実践だったのです。(中略)
 仏道修行の形式を満たしているか否か、あるいは仏教徒であるか否かさえも関係なく、その人がどんな相手のことも尊重するのなら、その人は『法華経』を行じているととらえてよいことになるでしょう。


 『法華経』全28章の教えに一貫して流れているのは「原始仏教の原点に還れ」という主張だといいます。『法華経』は、小乗仏教と大乗仏教の対立を乗り越え、釈迦の説いた平等思想に立ち返ることで、人々の救済を目指した画期的な経典であったというわけです。

 『法華経』は、日本に伝わり、飛鳥時代には聖徳太子、平安時代には最澄[伝教大師]によって広められました。とりわけ最澄は、『法華経』を根本経典にしました。その最澄が開いたのが比叡山の延暦寺ですが、よく知られるように、ここで学んだ法然、親鸞、栄西、道元、日蓮らは、その後、諸宗派の祖となって、日本仏教を、深く広く展開させていくところとになりました。
 『法華経』は「諸経(しょきょう)の王」とも呼ばれます。それは、何よりも「皆成仏道(皆仏道を成(じょう)ず)」という思想、つまり、あらゆる人が仏になれるとする、どこまでも平等な人間観にその理由があるのではないかと思います。それが、古来より人々から広く受け入られ、支持されて、現在に至っているのだと思います。

 今回は、『法華経』が「諸経の王」と呼ばれる理由や、日本仏教の礎をなす経典であるという事実を知る上で、たいへんありがたい機会となりました。また、同時に日本の仏教徒として、『法華経』の説き示そうとしていることをもっと深く読み味わわな
くては、との思いも湧いてきました。
 今回、紹介したのは、『法華経』の全体からすれば、ほんのごく一部分であり、その中身も極めて浅薄なものです。興味を持たれた読者は、ぜひ書籍などに当たられてみてはいかがでしょうか。(〆)
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2019
03.18

一日不作一日不食 R ①/③

Category: 未分類
短冊
 6年ほど前から、臨済宗系の禅のセミナーに通っています。講師は山川宗玄老師[(岐阜美濃加茂市の正眼寺(しょうげんじ)住職]です。これまで白隠禅師の「遠羅天釜(おらてがま)」、廓庵禅師の「十牛図(じゅうぎゅうず)」、「発句経(ほっくきょう)」などの講義を拝聴してきました。
 このセミナーには、受講回数が一定の基準に達すると一つの楽しみがあります。老師の揮毫された短冊がいただけるのです。前回いただいた短冊は、雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師にまつわる「東山水上行(とうざんすいじょうこう)という禅語でしたが、今回は、「一日不作一日不食」でした。これは百丈懐海(ひゃくじょうえかい)禅師の残した、たいへん有名な禅語です。「一日作(な)さざれば、一日食(く)らわず」と読みます。
 中国・唐の時代に活躍した百丈禅師(749~814)は、それまでの禅寺の生活様式を改革、整理して「百丈清規(ひゃくじょうしんぎ)と呼ばれる規則をつくった禅僧で、禅が禅宗という一つの宗派を確立する基礎をつくったとされる高僧です。また禅宗の法脈上(とりわけ臨済宗)にあって最も尊崇される僧侶の一人でもあります。
 ちなみに「百丈清規」には、上下、老若の区別なく、お寺にいる全員が力を平等に作務(さむ)につくこと、つまり働くことが定められてます。
 そこで「一日不作一日不食」ですが、この言葉には次のような逸話が残されています。細川景一(ほそかわけいいつ)著「白馬蘆花(はくばろか)に入る」をもとに紹介します。
 百丈禅師(以下、禅師とします)自身も毎日の作務に熱心だったようで、80歳を過ぎても毎日の作務を怠ることがなかったようです。そんな禅師の体調を気づかって、弟子たちは「作務はもうやめて、お休みください」と申し出ますが、禅師は黙って聞くだけで、一向にやめようとはしません。一計を案じた弟子たちは、「道具がなれけば作務もできないだろう」とばかり、禅師の箒や鍬など道具を隠してしまいます。
 禅師はやむなく作務をあきらめ部屋に戻りますが、それ以後は一切食事を摂りません。心配した弟子たちは、「お加減でも悪いのですか」とお伺いを立てます。すると、禅師は淡々として答えます。
 「一日不作一日不食(一日作さざれば、一日食らわず)」と。
 それを聞いた弟子たちは、自分たちの考えを恥じ、道具を元に戻したというのです
禅師にとっては、仏に近づくための務めを作すことが作務であったわけです。
(以下、②/③へつづく)
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2019
03.22

一日不作一日不食 R ②/③

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無着成恭 [無着成恭氏]
 「一日不作一日不食」…。これがその昔、旧ソビエト連邦で示された「働かざるものは食うべからず」という社会主義の実践的戒律でないことは言うまでもありません。働くことは食べるために行うものではありません。禅師にとっては、あくまでも修行の一つであり、仏に近づくための道を実践するものでありました。したがって、一日でも仏道の実践を疎かにすることは、仏から遠のくことであり、食べる価値もないとして自戒の意を示したのだと思います。
 恥ずかしいことではありますが、この禅語を目にすると、私のような横着な人間は、誠に忸怩たるものがあります。
 ところで、細川氏はその著書の中で、その昔「やまびこ学校」で有名になった教育者であり、曹洞宗の僧侶でもある無着成恭(むちゃくせいきょう)氏の実践に触れています。以下、無着氏の手記を原文のまま紹介します。
 集まってきた子どもたちの前で、まず竹を倒す。「竹は君たちのために死んでくれたのだ」という話をして、お箸をつくらせる。そのお箸で三泊四日の食事をいただくようにする。食事のための作業は全てこどもにやらせる。とくにキュウリやナスは、畑でもぎとるところからやらせる。食べられる野草もつませる。そして三日目の午後、寺で飼育しているニワトリをつかまえ、解体して食べる―というところまでやる。
 「生きる」ということは、すべて何かのいのちを「いただく」ということを直接教えなくなった今、子どもたちは「他人の殺したものなら平気で食べる」「平気で食べ残す」「食べることにともなう、ある神聖さや感謝の気持ちを失う」という精神状態にある。そういう子どもたちの心に一つの事件を与えたいと、私は考えた。
 次は、参加した子どもたちの反応です。
 ニワトリを殺すとき、ニワトリの血が手に流れた。血はあたたかった。あ、ひとつのいのちがオレのために消えたと思った。泣いている女の子もいた。そのニワトリを解体したら、肉屋に並んでいるお肉と同じになった。そのときはもう誰も泣いていなかった。そのお肉を串にさし、焼き鳥にしたら、さっき泣いていた女の子も、笑って食べていた。
 串がやけて地面に落ちた焼き鳥があった。落とした子が、あ、もったいないと言って拾って洗って食べていた。自分で殺したのだから、最後の最後まできれいにいただかなくてはいけないと思った。(昭和61年8月4日) 
                                          
(以下、③/③へつづく)  
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2019
03.26

一日不作一日不食 R ③/③

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      にわとり                    
 無着氏は、後に「子どもたちには、生きとし生けるものには全てに仏性があることを教えたかった」と述べています。「仏性」とは「一切の衆生が本来もっている仏としての本性」のことを言います。「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)という理念に立つなら、生きとし生けるもの全てに具わる「仏性」「いのち」と読み替えたとしても何の齟齬もないと思います。
 子どもたちは、「もったいない…」「最後まできれいにいただかなくてはいけない…」、と感想を綴っています。これは、ニワトリの「いのち」と自分の「いのち」を重ね合わせることによって得られるたいへん尊い気づきだと思います。
 ニワトリの身体から流れる温かい血に触れたときの子どもたちの衝撃は、察して余りあるものがあります。その後、解体された肉は、肉屋に並ぶそれと同じではありました。しかし、地面に焼け落ちた肉を惜しむ心と、それを拾い、洗っていただくという行為は、紛れもなくそこに深い学びがあったことを証明しています。子どもたちは、同じ「いのち」を持つものとして、「自他一如」に目覚めたのだと思います。そして、飛躍するかも知れませんが、そこに互いの「仏性」を感得しのだと思います。
 百丈禅師は、作務、つまり労働することが仏に近づくことにつながると教えました。ニワトリを飼育することも、広義には労働ではありますが、そこまでの拡大解釈をしなくともよいのかも知れません。子どもたちは、ニワトリを殺して、食べることにより、かれらにも自分たちと同じように「いのち」、あるいは「仏性」があるということに気づいたのだと思います。
 したがって、働くことが「仏性」に目覚めるための修行なら、「食べる」ことも「仏性」に目覚めるための行為になり得るのかも知れません。勝手な想像ではありますが、無着氏は、そのことを「食べる」ことに伴う「神聖さ」としているのではないかと思うのです。
 私たち大人も、「食べる」ということの意味について、今一度、思い返してみる必要があるのかも知れません。(〆)

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2019
03.30

朽ちた仁王像 ①/③

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 友人と仏教史上に『法華経』が誕生した経緯について話題としていたとき、 一つの疑問が示されました。
 『法華経』の根本思想は「皆成仏道(すべての者が仏になれる)」です。最澄は、これを根本経典に比叡山延暦寺を興しました。ここで学んだのが、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮ら、日本仏教の祖師たちです。彼らは、この思想を礎に、それぞれ各宗派の教義を展開していったわけですから、だれでもが例外なく仏になれるという思想は、日本仏教の底流をなすものと言ってよいかと思います。いわゆる「一切衆生悉有仏性」です。
 ところが、浄土宗や浄土真宗にあっては、「南無阿弥陀仏」の名号に象徴されるように、自己の外に仏(阿弥陀如来)を置いています。友人の疑問は、仏を自己の外に置く浄土門の教義は、『法華経』が説く思想に離反しているのではないかという点にありました。
 端的に言うなら、本来仏である私たちが、別に仏を立て、それに帰依するなど不合理ではないかということです(ちなみに友人の菩提寺は浄土宗です)。

 ところが、それに前後して、別の友人がFacebookでたいへん興味深い情報を寄せてくれました。とある寺院に安置されている仁王像についての情報でした。運慶作とも伝わる由緒ある仁王像が、明治初期の仏教排斥運動を受け、往時の近隣住民(檀徒も含まれるか)の手によって、寺の前を流れる川底に埋められ、難を逃れたというものでした。
 Facebookには、近年、改めてお堂に安置されたこの仁王像の写真が掲載されていました。阿形と吽形を一対とした、かなり大きな彫像のようで、写真からは、身の丈、九尺五寸との説明も読み取れました。(以下、②/③につづく)
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