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2019
02.02

「四料揀」について ①/④

Category: 未分類
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 前回のブログで、『臨済録(りんざいろく)(臨済宗開祖の臨済禅師の言行をまとめた語録)にある「四料揀(しりょうけん)」について触れました。臨済禅師は、「人(主観)」と「境(客観)」の組み合わせの中に生活の実態があるとして、四つの行動パターンを示していますが、前回は、その内の一つ「奪人不奪境(だつにんふだっきょう)」について詳しく述べました。主観を奪って、客観を生かす行動パターンのことです。
 卑近な例として床拭き作業のことを挙げましたが、同様のことは他にいくらでもあると思われます。職人が製作に勤しんでいるときがそうでしょうし、画家がカンバスに向かって絵筆を振るっているときもそうでしょう。また、好きな音楽に聴き入っているときもそうでしょう。あるいは、大自然の壮大な営みに心奪われているときも、これに該当するのではないでしょうか。いずれの場合も〈我〉を忘れ、〈時間〉も〈空間〉も忘れて〈こと〉と一つになっているときの様態です。いわゆる「主客一如(しゅきゃくいちにょ)」です。
 そこで今回は、他の三つのパターンについて紹介したいと思います。
 二つ目は「奪境不奪人(だっきょうふだつにん)」です。文字どおりに解釈するなら、客観を奪って、主観を生かすということです。一つ目の「奪人不奪境」と真逆の在り方です。いったいどのようなことでしょうか。
 一言で言うなら「自己陶酔型」の行動パターンかと思います。卑近な例を挙げるなら、「カラオケ」を楽しんでいるときではないでしょうか。マイクを手にお気に入りの歌を歌う時など、多くの場合、同席者の存在は意識にないと思います。ただ心の赴くまま、思う存分に歌い切るだけです。
 仏教的な見解も一つお示ししたいと思います。ただ、お断りしておきますが、これは、あくまでも私見です。
 「奪境不奪人」は、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」という在り方に通じるのではないでしょうか。これは、釈迦が誕生に際して口にした言葉として伝わるものですが、誤解が生じやすいので注意が必要です。この場合の「我」に釈迦本人の意味はありません。個々の人間を代表するものとしての「我」です。したがって、その意味は、一人一人がそれぞれに、この世の中で最も尊い存在であるということにあります。(以下、②/④につづく)

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2019
02.06

「四料揀」について②/④

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16051120(2).jpg  [中国・臨済塔]
 現実世界に生きる私たちは、何事にも、とかく優劣をつけ、他人と比較して優越感に浸ったり、劣等感に陥りがちです。しかし、この世にただ一つ、かけがえのない本当の自分があるということに目覚めるなら、他人と比較して劣っているなどとして傷つく必要などありません。また、他人より優れているなどといって驕ったり、他者を蔑むこともなくなると思います。他者との関係性で行き詰まったときなど、「天上天下唯我独尊」と念じることで、心が解放され、軽くなるのではないでしょうか。

 「四料揀」の三つ目は「人境倶奪(にんきょうぐだつ)」です。主観も客観も共に奪ってしまうことですが、端的に言うなら、禅定に入った様態のことでしょう。坐禅をして、心が鎮まり、いわゆる「無」の境地に到達したときの有り様です。
 勝手な推測ですが、浄土門(浄土宗、浄土真宗)における念仏もこれに相当するかも知れません。念仏を称えるときも「無心」だと聞きます。
 そして、四つ目が「人境倶不奪(にんきょうぐふだつ)」です。主観も客観も奪うことなく、共に生かしていく様態です。どのようなことでしょうか。さまざまな場面が想定されるのですが、分かりやすく言うなら、温泉に出かけ、露天風呂に浸かり、美味しい食事に舌鼓を打っているときでしょうか。

 山田無文老師は、この「四料揀」について、次のように総括的な見解を示しています。


 この四つの世界を自由自在に、その時その時に応じて使い分けていくものが禅というものだ。いつでも主観と客観が窮屈な対立をして、動きのとれんようなことではいかん。あるときは、いさぎよく我を捨てて、相手を生かしてやるがよい。ある時は相手を殺して大いに我を生かすがよろしい。相手も我も殺すか、相手も我も生かすか。これをはっきりと自由自在に使い分けていかんと、人生がもやもやとしたものになってしまうのである。


(以下、③/④につづく)
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2019
02.10

「四料揀」について③/④

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 ただ、ここで一つ疑問が湧きます。臨済禅師は、禅者(禅の修行に取り組む人)に対しては、どの在り方を推奨しているかということです。ちなみに「四料揀」は、禅師が大衆に向けて行った講義として伝わるものです。したがって、禅者に特化して行った講義ではありません。その意味では、主観と客観の組み合わせが、単に四つのパターンで示されただけとも言えます。
 これについては、『臨済録』の中にヒントになる言葉があります。「無事是貴人(ぶじこれきにん)」です。掛け軸や色紙などに揮毫されることの多い禅語ですが、平易に言うなら、求めるものが何もないという境地が最も尊いということです。無文老師は、次のように解説しています。


 自分のはからい、分別というものをことごとく捨ててしまって、そこに神を発見し、仏を発見していく。これ以上強いものはない。これ以上の真理はない。相手を偉い、尊いと思う時は自分を卑下する時であるから、対立の世界だ。対立の世界は必ず行き詰まる。(中略)
 何かを求め、何かをありがたがっておるうちは、自分がたらんからじゃ。行くところに行き着いておらんからじゃ。天下に求めるものは何もない。腹が減って食う物がなければ、飢え死にすればいい。死ぬまで寝ておったらいい。人間なかなか死ねるものじゃない。無事是れ貴人だ。


 老師が修行僧に向けて語ったものですので、過激な言い回しも含まれていますが、これが、“主観”を奪った有り様であることは明白です。禅が目指すのは「悟り」ですが、それは“主観”、つまり我欲を棄て、我執を消し去ることに他なりません。その先に真実の世界が開かれるということです。したがって、「四料揀」では四つの行動パターンが示されていますが、禅者にとってより重視されるのは「奪人不奪境」という在り方ではないかと思うのです。

 ところで、この「四料揀」を私たち(在家者)はどのように受け止めればよいのでしょうか。以下、身の程もわきまえず、独りよがりな見解を述べさせていただきたいと思います。(以下、④/④につづく)

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2019
02.14

「四料揀」について④/④

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  「主客一如」ということに焦点を当てるなら、私たち(在家者)は、やはり、一つ目の「奪人不奪境」、あるいは二つ目の「奪境不奪人」という在り方が現実的であるように思います。
 三つ目の「人境倶奪」は、私たち(在家者)には高いハードルです。「無」の境地などというのは、出家者でもなければ容易に迫れるものではありません。また、四つ目の「人境倶不奪」は「主客」の間にギャップも生じます。温泉に出かけたとしても、湯が熱すぎたり、肌に合わないこともあるでしょうし、提供された食事が口に合わないときもあるでしょう。そうなれば、不平や不満が生まれ、それが苦しみになったり、怒りになったりすることもあります。いえ、私たちは普段、このようないわば「主客分離」状態の中で、満たされない感情を抱くことが多いのではないでしょうか。
 『臨済録』(唐の時代に活躍した臨済宗の宗祖、臨済禅師の言行録)に次のような語録があります。


  赤肉団上(しゃくにくだんじょう)に一無位(いちむい)の真人(しんにん)あり。常に汝(なんじ)ら諸人(しょにん)の面門(めんもん)より出入(しゅつにゅう)す。未(いま)だ証拠(しょうこ)せざるも者は、看(み)よ看よ。


  臨済禅師が、修行僧たちに向けて説いたもので、『臨済録』の中でも最も有名な言葉とされるものですが、要約すると「誰の肉体にも、姿も形もない『真人』がいる…。いつも顔の穴から出たり入ったりしている…。まだそのことが確かめられない者は早く見つけよ…。」ということになります。ちなみに、顔の穴というのは、眼、耳、鼻、口などのことを指しているようです。五官と置き換えてよいかと思います。ちなみに、臨済禅の厳しい修行は、この「真人」を掴むことが最終目的だとされます。
 そこで、今、この「真人」を便宜的“主観”に置き換えてみます。すると“主観”が、五官を通して肉体から“客観”の世界(外界)に出たときが「奪人不奪境」になり、それが肉体に戻ってきたときが「奪境不奪人」にならないでしょうか。いずれの場合も「主客一如」の様態です。勝手な解釈ではありますが、私たち(在家者)に相応しいのは、この二つの行動パターンであるように思うのですが、読者はどのように考えられるでしょうか。

 いずれにしても、我(主観)と世界(客観)を二元的に見ることで生じる対立や苦悩を俯瞰し、双方を一体と見なして自由自在に使い分けていくという禅の発想はユニークで、興味を引かれます。私の場合、先ずは、一つ目の「奪人不奪境」に心がけて日常を過ごしていくことでしょうか。
 とは言っても、前回のブログでも述べたように、今、私にできることは、せいぜい我が家の床拭き作業くらいです。その中で、我を忘れ、全身全霊で床拭きに勤しむ時間を大切にしたいと思うのです。
 「人(主観)」を奪ったとき、そこに残るのは「境(客観)」、つまりは床、雑巾(ときに、スポンジやウエットティッシュなど)だけになります。そして、少しずつですが、そのときが“至福のとき”と思えるようになってきました。(〆)

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2019
02.18

『法華経』について ①/⑤

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 『法華経』について学ぶ機会がありました。NHK Eテレで放映された「100分で名著」でした。さっそく、この番組を扱ったテキスト(『法華経』 植木雅俊 著)を買い求めました。
 冒頭で、古代インド(1世紀末~3世紀初頭)の仏教史について触れられていました。その頃の仏教の歩みを知ることが、『法華経』の位置づけや、内容を理解する上で有効であるという説明でした。
 古代インドの仏教のあゆみについて、ごく掻い摘まんで言うなら、原始仏教から小乗仏教が生まれ、その後に大乗仏教が生まれたということです(テキストでは、「小乗仏教」を上座部仏教から分派し、最も有力だった「説一切有部(せついっさいうぶ)」という部派と定義されている)。
 原始仏教というのは、釈迦及びその直弟子が生存していた時期に広がった仏教のことです。小乗仏教というのは、釈迦が亡くなった後に生まれてきた仏教のことです。さらに大乗仏教というのは、小乗仏教の思想を批判する形で登場した、いわば一番新しい仏教のことです。
 言うまでもないことですが、このうち日本に伝わったのは大乗仏教です。その大乗仏教が、どのようなプロセスを経て登場するに至ったのか、それを学ぶ意味で、今回の番組は、たいへんありがたいものでした。

 先ず原始仏教から小乗仏教への転換ですが、釈迦の死後、100年ほど経てからの動きだったようです。テキストの中では、いくつかのポイントが挙げられていましたが、次の3点に目が止まりました。
 ①修行の困難さが強調されたこと 
 ②覚りを得られる人の範囲の限定されたこと
 ③仏弟子の範囲に変質が起こったこと
 これを裏返すなら、原始仏教の時代には、これらの事柄はなかったということになるわけですが、なかでも「修行の困難さの強調」という点がポイントではないかと思いました。小乗仏教の時代には、覚り(悟り)を得て仏になるためには、とてつもなく長い時間=三阿僧祇劫(さんあそうぎこう)の修行が必要であるとされました。現代の数字に換算すると実に3×10の83乗年といいますから、気の遠くなるような時間です。この途方もなく長い時間が、「修行の困難さ」を象徴しているのだと思います。これでは、ごく一部の限られた人間しか仏道を歩むことができないことになります。(以下、②/⑤につづく)

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2019
02.22

『法華経』について ②/⑤

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 では、一部の人間とは具体的に誰のことなのでしょうか。それは出家者のことです。修行に専念できるのは修行者だけだからです。ここで、在家者は「覚りを得られる人」から除かれ、蚊帳の外に置かれてしまったわけです。
 ただ、出家者にも差別が加えられたといいます。出家者であっても到達できるのは阿羅漢(あらかん)=完全な修行者までであり、仏(ブッダ)にまではなれないとされました。つまり、阿羅漢は、仏(ブッダ)より一つランクを下げられることになったのです。
 さらに、差別は「仏弟子(ぶつでし)」と呼ばれる人々にも及んだといいます。原始仏教では、出家・在家、また男女の区別はなく、等しく「仏弟子」と呼ばれていました。ところが、在家者と女性は「仏弟子」という範疇から外されてしまったのです。また、出家者も「男性に限定」されてしまったといいます。
 いずれも、私たちが日頃から馴染んでいる仏教のイメージとは異なるものであり、正直なところ戸惑いがありました。

 ところで、このような小乗仏教の変容はなぜ起こったのでしょうか。テキストの記述をもとに、当時の時代背景を確認したいと思います。
 当時、インドではローマ帝国との交易が始まり、胡椒の取引によって大量の金貨が流入し、大きな利益を手にする人々が出てきました。そして、それが仏教信徒にも及ぶと、教団は彼らに布施を要求するようになりました。ただ、出家者には現金に手を触れられないという戒律があったため、教団は在家者に財産管理を任せ、その人たちに貸し付けを行わせ、利子を取るようになりました。
 テキストには、中村 元(インド哲学者、仏教学者)の次のような言葉が引用されていました。


 伝統的保守的仏教諸派は、確固たる社会勢力をもち、莫大な財産に依拠し、ひとり自ら身を高く持し、みずから身をきよしとしていたので、その態度はいきおい独善的高踏的であった。かれらは人里離れた地域にある巨大な僧院の内部居住し、静かに瞑想し、坐禅を修し、教理研究に従事していた。自分自身だけの解脱、すなわち完全な修行者(阿羅漢)の状態に達してニルバーナ(涅槃)に入ることをめざした。(中略)こういう理想を追求する生活は、ただ選ばれた少数派だけが修行僧(ビク)としての生活を送ることによってのみ可能である。


 小乗仏教は、豊富な資金に依拠しながら修行に専念し、自らを選ばれた者として差別化することで、特権化し、権威主義的傾向を強めていったと言えるかと思います。(以下、③⑤につづく)

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2019
02.26

『法華経』について ③/⑤

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 こうした情況の中で興ってきたのが大乗仏教でした。ちなみに、従来、大乗仏教は小乗仏教の外側で興ったと考えられてきたようですが、現在では小乗教団の内部から、“改革派”として興ったという説が有力のようです。
 「菩薩」という概念があります。これは、小乗仏教が作り出した言葉で、当初は、「覚りが確定した人」を意味していました。仏(ブッダ)になることは確定しているが、まだ修行の途上にあり、仏(ブッダ)になっていない人ということです。
 ところが大乗仏教が登場すると、その意味に塗り替えが興ったといいます。「覚りが確定している人」は「覚りを求める人」というように読み替えが行われたというのです。平たく言うなら覚りを求める人なら、誰もが仏(ブッダ)になれる”という変更です。これにより、菩薩はあらゆる人々に開放されることになりました。これは、仏教史上に起きた画期的な思想の転換と言っていいでしょう。

 ところが、そこには看過できない問題が含まれていました。大乗仏教は、菩薩をあらゆる人々に解放しましたが、二つだけ例外を作ったというのです。それが小乗仏教の男性出家者である「声聞(しょうもん)」=師について教えを聞いて覚りを目指す人と「独覚(どっかく)[縁覚(えんがく)](師につかず単独で覚りを目指す人)」です。「覚りを求める人」を菩薩とするなら、これらの人々も菩薩と呼んでも構わないと思われるのですが、除外されてしまったのです。このため小乗仏教の出家者は、菩薩にも、また仏(ブッダ)にはなれないとされたのです。その意味では、大乗仏教も差別思想を内包していたわけです。

 そこに登場したのが『法華経』でした。釈迦の入滅後、およそ500年頃のこととされます。『法華経』は、釈迦が弟子に教えを説いて聞かせるという形で、「序品第一」を序章として「普賢菩薩勧発品第二十八」まで、全28章の構成で編纂されました。
 テキストには「両者(小乗・大乗)の差別思想と対立を克服し、普遍的平等思想を打ち出すという課題を受けて成立してきたのが『法華経』である」とありました。つまり、『法華経』は、小乗・大乗それぞれの思想が持つ問題点を直視し、それを乗り越えることを目指して生み出された経典であるということです。
 仏教の究極の目的は、あらゆる人々を成仏させることにあります。その背景には“人間は皆、仏(ブッダ)の子供である”という、原始仏教に由来する堅固な思想があったのだと思います。(以下、④/⑤につづく)
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