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2018
08.02

仏さまがいるR  ①/④

Category: 未分類

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「仏」などというと、とかく抹香臭いものと捉えられがちですが、私は、仏教で説かれる「仏」という概念に大きな魅力を感じています。人として生まれた私たちが、生きることの意味について問い直すとき、「仏」という概念は、大きなヒントを与えてくれるというのが私の理解です。
 読者が子どもたちであることを想定し、「仏」をテーマに綴ってみたいと思います。


 皆さんの体の中には、一人の例外もなく、「仏さま」がいらっしゃいます。こうして文章を読んでいるときも、そして、歩いているときも、勉強しているときも、遊んでいるときも、あるいは、食べているときも、トイレに行っているときも、どんなときにでも、皆さんの体の中には「仏さま」がいらっしゃいます。
 こんなことを言うとびっくりするかも知れませんが、これは本当のことです。誰の体の中にも、いつも「仏さま」がいらっしゃるのです。夜になって皆さんがぐっすりと寝ているときにも「仏さま」はいらっしゃるのですよ。
 では、「仏さま」は、どんな姿をされているのでしょうか?体の中にいらっしゃるなら簡単に見られそうに思います。しかし、残念ながら、私たちはその姿を見ることはできません。「仏さま」に姿はないからです。
 それでは、お寺などにいらっしゃる「仏さま」は、いったい何なのかと疑問に思う人があるかもしれません。実は、お寺にいらっしゃる「仏さま」は、人間が想像して作ったものなのです。「仏さま」というのは、こんなに美しくて、優しくて、清らかな姿をしていらっしゃるだろうということを想像して作ったのです。それがお寺にいらっしゃる「仏さま」(「仏像」とも言いますね)なのです。
 いろいろな時代に、いろいろな人が思い思いに作ったのが仏像ですから、いろいろの姿の「仏さま」がいらっしゃいます。だから、それは、「仏さま」の本当の姿かと言えば、「そうです」とも言えないし「そうではありません」とも、言えないのです。
 「仏さま」には、姿がありません。だから、その姿を見ることができません。でも、姿は見えなくても、「仏さま」を感じることはできます。なぜかというと、「仏さま」に姿はありませんが「心」はあるからです。皆さんは、その「心」を通して、「仏さま」を感じることができるのです。それは、どんなときでしょうか。(以下、②/④につづく)
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2018
08.07

仏さまがいるR  ②/④

Category: 未分類
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 皆さんは、きれいな花を見たとき、嬉しい気持ちになるでしょう?それは、皆さんの体の中の「仏さま」が嬉しい気持ちになっていらっしゃるからなのです。また、街の中で体の不自由な人やお年寄りが苦労されているのを見ると助けてあげたくなるでしょう。それは、皆さんの体の中の「仏さま」が助けてあげたいなと思っていらっしゃるからなのです。また、だれかが大きなケガや病気をしたり不幸になったりした様子を見ると、心が苦しくなるでしょう?それも、皆さんの体の中の「仏さま」が苦しくなっていらっしゃるからなのです。
 それに、悲しい目にあうと悲しい気持ちがするでしょう?これも、皆さんの体の中の「仏さま」が悲しい思いをしていらっしゃるからです。そして、友だちと喧嘩をして、意地悪をしたときなど、少し時間が経つと悲しい気持ちになることがあるでしょう?これも、皆さんの体の中の「仏さま」が悲しい気持ちになっていらっしゃるからなのです。
 そして、わすれてはならないことは、このような皆さんの心が、決して誰かから教えてもらったり、与えてもらったりしたものではないということです。それは、人間なら、誰もが生まれながらにして持っている心なのです。「仏さまの心」は、いつも皆さんの体の中にあって、一生懸命に働いてくださっています。では、その心には、どのよう働きがあるのでしょうか。

 一つ目には、皆さんがいつも当たり前の生活ができるように守ってあげようとする働きです。見る、聞く、話す、歩く、走る、遊ぶ、食る、トイレにいく、寝るなど、ごく当たり前のことですが、この当たり前のことが当たり前にできるということが、実は一番幸せなことなのです。それは、病気をしたときのことを思い出すとすぐに分かると思います。「仏さま」は、いつも、これらのことが、当たり前にできるように、誰一人、差別することなく皆さんを守ってくださっています。(以下、③④につづく)

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2018
08.12

仏さまがいるR  ③/④

Category: 未分類
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 そして、二つ目には、皆さんも含め、皆さんの周りにいるあなたを幸せにしようとする働きです。このときのあなたというのは、人間のことだけではありません。動物も植物も、山や川、海など自然界にあるものも、あるいは人間が作ったものも、全てのものがあなたです(ここから先は、あなたという言葉をこのような意味で使っていきます)。その意味では、「仏さまの心」に、わたしとあなたという区別はありません。そもそも「仏さま」に、わたしという心はありません。そして、ただあなたが幸せになることを願い、一生懸命に働いてくださっているのです。
 あなたを喜ばせてあげたい…。あなたが喜んでいると嬉しくなる…。あなたが悲しんだり、苦しんだりしているのを見ると辛くなる…。そして、助けたり、励ましたりしてあげたくなる…。皆さんの心の中にこんな気持ちが自然に湧き出してくるとき、それが「仏さまの心」が働いているときなのです。
 ところで、皆さんにも、皆さん自身の心があります。○○くんの心、○○さんの心と言ってもいいかと思います。でも、「仏さまの心」と皆さんの心には、違いがあることに気づくでしょう。皆さんは、友だちを助けてあげたり、優しくしてあげたりすることができる反面、ときには、意地悪をしたり、困らしたりすることはありませんか。憎らしく思って嘘をついたり、怒りをぶつけたりすることはありませんか。
 このようなときに働き出す心が、「仏さまの心」から出てくるものではないことは言うまでもありませんね。このような心は、あなたのことを考えずにわたし(自分)のことだけを考えて勝手に動いてしまう、「仏さまの心」とは、全く別な心なのです。分かりやすく言えば、“わがままな心”です。それは、皆さんが、もともと持っている心ではありません。気づかないうちに身につけてしまった「仮の心」なのです。「仏さまの心」は、どんな場合にも決してあなたを、裏切ったり、粗末にしたりはしません。
 でも、「仮の心」であっても、この心が、もともとある「仏さまの心」が働き出すのを邪魔してしまうことがあるので注意しなければなりません。だから、皆さんは、いつも自分の中に「仏さまの心」があるということを忘れず、この「仮の心」が騒ぎ出すのを抑える努力をしなければなりません。
 そんなに難しいことではないと思います。皆さんが、自分の中に「仏さまの心」があることを思い出しているとき、「仮の心」は消えているはずです。いくら素晴らしい「仏さまの心」であっても、そのことに自分が気づかないうちは、その心は働かないということです。(以下、④/④につづく)
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2018
08.17

仏さまがいるR  ④/④

Category: 未分類

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 このように、「仏さま」は、1日24時間、365日、素晴らしい「心」をもって、休みなくわたしやあなたのために働いていてくださっています。しかも、それは誰に頼まれたわけでもありません。だから、「お金をください」とも「恩を返してください」とも、一切、言われません。皆さんのために一方的に働くだけです。素晴らしいことだと思いませんか。
 では、「仏さま」は、人間が死んでしまうとどうなるのでしょう?当然の疑問だと思います。皆さんが生きている間、一生懸命に皆さんを含むあなたのために働かれる「仏さま」は、体の中にいらっしゃるのですから、それらが死んだ後には、消えてしまうのでは…?というのが普通の考え方だと思います。
 しかし、仏教ではそうは考えません。仏教では、「仏さま」は、場所を変えて、別のところにいかれるというふうに考えます。でも、別の場所といっても、死んだ人が往くと言われている「あの世」ではありません。決してそのことを間違えてはいけません。「仏さま」は、皆さんが住んでいる「この世」の別の場所に移られるだけなのです。
 とは言っても、実を言うと、そこはもともと「仏さま」がいらっしゃった場所でもあるのです。とても不思議なことですね。だから、皆さんが死んでも、「仏さま」は、もともといらっしゃった場所に戻られるだけなのです。そして、また新しい命が生まれたとき(動物でも植物でも、人が造ったものでも)、いつかはまた、その体のなかに移り住まれることになることになるのです。
 このように、「仏さま」は、いつも自分の中にいらっしゃって、皆さんを含むあなたのために、いつでも一生懸命に働いていてくださっています。こんなふうに考えると、心が豊かになって、とても頼もしい気持ちになってきませんか。
 なかには、そんなことは信じられないと思う人がいるかも知れません。でも、皆さんがそのことを信じるか、信じないかということに関係なく、「仏さま」は、今も皆さんの体の中で、皆さんのために働いてくださっているのです。(〆)
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2018
08.22

仏飯の功徳 ①/③

Category: 未分類

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 いきなり抹香臭い話になって恐縮ですが、我が家には、その日初めて炊飯したときには、真っ先に仏壇に供えるというルールがあります。供えるのは、小振りな専用の仏器二つと茶器をワンセットにしたものです。         
  これは亡くなった母が励行してきたことで、その母も嫁入りの折、姑(私の祖母)からそのように教えられ、続けてきたのだと思います。もっとも、これは古来から日本の家庭で続けられてきものであり、恐らくは祖母も同様の道を歩んできたのだと推測します。                       
   言うまでもないことですが、炊き上がったばかりの米飯は熱く、仏器にそれを盛るときには苦労もあります。仏器には、米飯をお椀のように盛り付けなければなりません。不器用な私でもあり、器から米飯がこぼれ、指についたりして、熱い思いをすることもしばしばです。
 正直なところ面倒だと思うこともあります。しかし、母がしてきたこと、いや先祖代々受け継がれてきたことと思い返しては行っています。
 また、菩提寺が禅宗(臨済宗)である我が家では、お盆の期間、すべての位牌を仮の祭壇に並べ、朝、昼、晩と日に三度、特別に料理を作って供えることになっています。もちろん、供えられるのは精進料理です。メニューの選定から食材の準備、そして調理と、ふだんとは異なる作業となるため、妻には大変な負担をかけるのですが、ありがたいことに、母が亡くなってからも、妻は誠実に取り組んでいてくれます。

 ところで、今年のお盆の折、こんなことがありました。お盆の最終日の夕方、最後のお供えが済み、食後のお茶が供えられた直後のことでした。
 夕食の準備にかかり始めたとき、台所にある炊飯器から、炊き上がりを知らせる電子音が鳴りました。その日、初めての炊飯でした。そのとき、私がとっさに思ったのは、お盆のお供えが済んだ直後であり、いつもの仏飯とお茶のお供えは省略してもよいのではというものでした。そして、そのことは妻にも伝え、妻も了解してくれました。  (以下、②/③につづく)

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2018
08.27

仏飯の功徳 ②/③

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 ところが、しばらくすると、私の心の中に、もう一つの想いが湧いてきました。
「やはり、いつものようにしよう…。」
 私は、台所に移動しました。そして所定の場所に置かれていた空の仏器に、炊きあがったばかり米飯を盛り付け、茶器と共に位牌の前に置きました。その後には、いつものように『般若心経』を読み上げました。不思議なのですが、そのとき、何か心が澄んだような気持ちになりました。
 そのとき、ふっと一つのことが頭を過ぎりました。それは、仏になったご先祖様は、炊きあがった米飯が供せられることにそんなに執着されるだろうかという疑問でした。
 そもそも、私たちが仏をイメージするとき、先ず思い浮かべるのは絶対的な「慈悲心」であり「寛容心」ではないでしょうか。都合のよい解釈かもしれませんが、その仏が、凡夫の些細な失敗や怠慢などに対して、苛立ったり、怒ったり、まして罰を当てたりするだろうかということです。
 だとするなら、私たちが仏や先祖に仏飯を供える意味は、いったいどこにあるのでしょうか。以下は、私見です。
 仏飯のお供え、それは私自身に対するものだったのではなかったか…、これが私の見解です。仏飯を供えたとき、私の心中に平穏が保たれたことは先に記した通りです。それをしなかったら、私の中には、きっとなにがしかのモヤモヤが残ったのだと思います。となれば、仏飯を供えることの意味は、仏や先祖ではなく、私自身の内にあったことになります。

 中国の南北朝時代、達磨がインドから中国に渡って来たとき、梁国の武帝との間に、興味深いやり取りがあったことを思い出しました。武帝が「私は長く寺を作り、経を写させ、多くの僧を育ててきたが、どんな功徳があるか?」と問いかけたのに対して、達磨は「無功徳(むくどく)」と答えたあのやり取りです。
  「功徳」を辞書で引くと、「善行の結果として与えられる神仏の恵み、ご利(り)益(やく)」とありました。したがって「無功徳」というのは、「利益などない」ということです。武帝の質問に対する達磨の答えは、見返りを求めて為すことなど、仏道の本道でないという手厳しい教示だったというわけです。(以下、③/③につづく)

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