2016
08.03

ギャラリー48

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◎これまで掲載した水をテーマにした写真をギャラリー48」としてまとめました。 

 
水は百面相 どれも水の顔には違いない 
 しかし どれも本当の顔ではない 
 心も同じこと
 
今回の写真は、すべて東海市(聚楽園)で撮影したものです

48-1聚楽園

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次回は、「昼間に星を見る」を掲載(4回配信)します。ぜひ、ご訪問ください。


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2016
08.07

昼間に星を見る ①/④

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01_20150503104135b09.jpg 

「星とたんぽぽ」
  青いお空のそこふかく、
  海の小石のそのように、
  夜がくるまでしずんでる、
  昼のお星はめにみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。

 ご存じの通り、これは、金子みすゞの詩「星とたんぽぽ」の前半の部分です。 いつも懇意にしているお寺の院住さんと対談した折、思い出したのがこの詩でした。
 その話は、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)の誓願を星に喩えたものでした。つまり、法蔵菩薩(後の阿弥陀如来)の誓願は、昼間の星と同様に、見えないけれどもあるという発想から生まれた話でした。
 法蔵菩薩の誓願とは、浄土宗や浄土真宗でよく読まれる『無量寿経(むりょうじゅきょう)』というお経の中に出てくると聞きました。それは、後に阿弥陀如来となる法蔵菩薩が、極楽世界を作る前に「自分の国は、このような世界にしたい」と、あれこれ願い、それを教えとして説いた経典です。
 以下、仏教学者であるひろさちや氏の解説を紹介します。
 『無量寿経』で法蔵菩薩は、四十八の誓願を立てる前に、全体像をこのよう述べています。
 「私が仏(如来と同意)となれたなら、その国土は最もすぐれたものにしたい。住人は素晴らしく、道場は絶妙であり、その国は涅槃のようで、他の国土とは比べものにならないようにしたい。私は、あわれみの心を起こして、すべての人を救いたい。あちらこちらから私の国に生まれ来た者の心が悦びに満ちて清浄となり、すでにわが国に来たならば、快楽に満ち、安穏に生活できるようにしたい」
 誓願を立てた法蔵菩薩は猛烈な修行を経て、はるかな昔に阿弥陀仏となり、その誓願はすべて成就され、現在も継続中であるとされます。
 法蔵菩薩の誓願は、私たちのような凡夫が立てる身勝手で刹那的な願いではありません。私たち凡夫には、とても真似ることのできない、いわば究極の願いです。
 単純な私は、それを生きとし生けるものを現成させている時空を超えた“仏の働き”と理解しています。浄土宗や浄土真宗など、いわゆる浄土門(じょうどもん)の教義からは、余りにも乱暴で稚拙な理解かとお叱りを受けるかも知れませんが、今回に限ってお許しください。以下、この言葉を使って、話を進めたいと思います。(以下、②/③につづく)
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2016
08.11

昼間に星を見る②/④

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 そこで、星の話に戻ります。金子みすゞの詩にもあるように、星は昼間でも存在し、光っています。しかし、私たちには見えません。“仏の働き”も、昼間の星のように、ふだんは見えない(感じられない)ものではありますが、四六時中そこにあり、常に人々を救済しよとうとする働きをしているということです。
 では、“仏の働き”は、どのようなときに私たちに見える(感じられる)のでしょうか。つまり、あたかも星が夜空に輝いて見えるように、それを感じられるのは、どのような場合なのでしょうか。
 それは、私たちが最期のときに差し掛かったときではないか、というのが私の意見です。すべての生理的な機能を失い、自力では何もできなくなったときのことです。それは、まさに究極の暗闇なのではないでしょうか。
 そのとき、忽然として星、つまり、“仏の働き”が見える(感じられる)ということでないかと思うのです。それは、自分が“仏”に象徴される大きな力に支えられ、命を永らえてきたことへの本源的な気づきであり、人生の終焉に臨むことでやっとたどり着ける境地と言えるかも知れません。    
 (ただし、誤解のないように申し添えますが、これは全くの私の想像の域を出るものではありません。)

 ところで、星が昼間に見えないのはなぜでしょうか。当然のことながら、太陽の光に遮られるからです。こんなことは、小学生でも知っています。
 しかし、それ以外にも理由があるのではないかというのが、今回の院住さんとの対談から生まれた、私なりの発想でした。こんなことを言うと奇異に感じられるかも知れませんので、あらかじめお断りしておきますが、あくまでも喩え話でのことです。以下、そのように受け止めてください。
 星、つまり“仏の働き”が、ふだん私たちに感じられないのは、私たち自身が、自ら発している光があまりにも強いからではないからではないでしょうか。その光というのは、“煩悩の炎”に由来するものです。
 「貪瞋痴(とんじんち)」の、いわゆる“煩悩の炎”は、実に強力です。煩悩は、三毒(「貪る心」「怒る心」「愚かな心」)とも呼ばれ、私たちの心の奥深くに巣くっています。しかも、容易に排除したり抑えたりすることはできません。その炎は、初め小さく発火しますが、ときが経つにつれて次第に火力を強め、光量もだんだん増していきます。その光に眩惑され、星の光、つまり“仏の働き”が見えない(気づけない)のが、私たちのふだんの有り様ではないでしょうか。そして、そんなときの私たちは、たいがい自分の力だけで生きていると思っているものです。(以下、③/④につづく)

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2016
08.15

昼間に星を見る ③/④

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03_20150503104138759.jpg [親鸞聖人]
 天体の星は、太陽が沈み、夜になれば誰でも見えるようになります。ところが、“仏の働き”は、一定の時間が経過すれば誰でも見られる(感じられる)というような性質のものではありません。私たちの“煩悩の炎”を遮るものはありません。たいがいの場合、最期のときを迎えるまで、燃え続けるのではないでしょうか。              
 しかし、死に直面するときだけにそれに気づくというのでは、あまりにも勿体ないと思うのです。生きているうち、つまり、昼間であっても星が見られないか…、“仏の働き”を感じられないか…、宗教を求める人々の動きというのは、おそらくこんな想いの中から起こってきたではないでしょうか。
 浄土真宗の開祖である親鸞上人には「念仏のみぞ、まことにておわします」という言葉があるそうです。これは凡夫であっても、それなりの努力さえすれば、生きているうちにも救われるチャンスはあることを述べたものだと聞きました。「南無阿弥陀仏」とただ一心に称えることで、“煩悩の炎”をより小さく、あわよくば消し去ることができたとき、昼間でも星、つまり“仏の働き”に気づけるということではないでしょうか。
 いえ、“煩悩の炎”は尽きることがないのですから、念仏というのは、その光が外に漏れ出ることのないよう、そこに蓋をすると言った方が正しいかも知れません。そして、その結果として“仏の働き”に気づき、すべてをお任せするということではないでしょうか。
 その意味では、念仏を称えることには、実は、並々ならぬ覚悟が求められるということでしょう。自分が何もしないで、“仏の働き”を感じさせてくれる、さらに言うなら、誰かが極楽浄土へ連れて行ってくれるなどという虫のいい宗教はないはずです。

 ところで、このことについて禅ではどのように考のでしょうか。蛇足かも知れませんが、以下、私見を述べたいと思います。(以下、④/④につづく)

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2016
08.19

昼間に星を見る ④/④

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 これまでも紹介してきましたが、禅には、「金仏(こんぶつ)、炉を渡らず、木仏(もくぶつ)、火を渡らず 泥仏(でいぶつ)、水を渡らず、真仏(しんぶつ)、内裏に坐す」という言葉が残されています。金属で造った鋳物の仏像は、炉の上を渡ったら熔けてしまう。木で造った仏像は、火の上を通ったら燃えてしまう。泥をこねて造った塑像の仏像は、水の中に入ったら熔けてしまう。本当の仏は、それぞれの心の中に坐っているというわけです。白隠禅師が『座禅和讃(ざぜんわさん』で詠っているように、いわゆる「衆生本来仏なり(しゅじょうほんらいほとけなり)」です。
 したがって、禅の思想に倣うなら、星は、生まれながらにしてあらゆる人間に具わっているということになります。つまり、禅にあっては、“仏の働き”は、すでに私たちの内にあるわけです。
 こんなことを言うと、それなら初めから何もする必要がないではないかとの声も聞こえてきそうですが、それは違います。何もしないで、それでよしと高を括ってしまう有り様は「自然外道(じねんげどう)」と言って否定されます。それでは、仏道から外れてしまうというわけです。
 星、いえ“仏の働き”は確かに自分の中にあるのですが、探し求める努力をしない限りは、それに気づくことも、見届けることもできなということです。
 星は、私たちの内あり、光っています。しかし、それが見えないのは、やはり“煩悩の炎”のためでしょう。その炎は、星の近くにあって燃え続けているのだと思います。炎のもとになる薪は、我欲(エゴ)から供給されるものでしょう。そして、その火種は“自分を一番可愛いと思う心”だと思います。
 禅では、その我欲(エゴ)、つまりは煩悩の働きを抑え、あわよくば解体してしまおうとします。その手段が、坐禅であり、作務であり、公案(禅問答)なのだと思います。ところが、その一方でと、煩悩が尽きないものであることも認めています。いわゆる「煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)」です。つまりは、禅にあっても“煩悩の炎”には蓋をするしかないということなのでしょう。 
                  hoshitsuki.jpg  
「他力」だ、「自力」だと言って、比較対象されることの多い浄土門(浄土宗、浄土真宗など)と聖道門(臨済宗、曹洞宗など禅宗)の教義ではありますが、このように考えると、浄土門の立ち位置も聖道門の立ち位置も、結局は同ようにも思えてきます。目指すところは一つです。それは“煩悩の炎”に蓋をすることです。それが、昼間に星を見るということなのではないでしょうか。
 最後に、私の記憶から離れない言葉で、今回のブログを終わりたいと思います。
 口で坐るのが念仏であり、無言で念仏するのが坐禅である (〆)

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2016
08.23

イタイ!を忘れるな①/④

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IMG_9275_201509101641278f8.jpg [関山慧玄禅師]
 京都市右京区に、臨済宗の大本山の一つである妙心寺があります。臨済宗には、京都に建仁寺、東福寺、南禅寺、天竜寺、大徳寺、また、鎌倉には建長寺、円覚寺など全国に14大本山がありますが、その中でも最多の末寺を持つにが妙心寺です。開基は花園上皇はなぞのじょうこう)[1297~1348]、開山は関山慧玄(かんざんえげん)禅師[1277~1360]で、1338年に創建されました。
 妙心寺の開創には、興味深い話が伝えられています。花園上皇は、禅に深く帰依し、大徳寺の住職だった大燈国師[宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)禅師]を師として参禅聞法(さんぜんもんぽう)しましたが、国師が病床に伏したため、後継者の推薦を要請します。このとき国師から推薦を受けたのが関山慧玄禅師(以下、禅師とします)でした。ところが、そのとき禅師は、悟後(ごご)の修行[悟りを開いてからの修行]に励んでいたため行方が分かりません。
 花園上皇は、使者に命じて人相書きを持たせ、全国津々浦々を捜索させます。苦労の末、使者は、美濃の国、伊深の里で隠遁(いんとん)生活をしていた禅師を捜し当て、上皇からの上洛[京都に上ること]の命を伝えます。禅師は、はじめこれを固辞しますが、使者からの七度にわたる熱い説得に折れる形で、京都に上ることを決心します。
 そのころの禅師は村人たちと共にありました。牛を追い鋤で耕したり、樵となって山の木を切ったり、ときには牛を曳いて隣町まで買い物づかいをすることもあったと言います。そして、夜には草庵に帰り、坐禅をするという地道な修行を8年間も送っていました。
 そんな経緯から、このことを知った村人たちの驚きはたいへんはものだったと言います。何しろ、それまで下男下郎のようにしてこき使ってきた乞食坊主に朝廷からの使者がやってきたのですから。
 禅師が京都に上る日、たくさんの村人たちが、それまでの無礼を詫びる一方、別れを惜しんで村はずれまで見送ります。その中に、日頃から格別親しく出入りしていた老夫婦の姿がありました。
 以下は、そのときのやり取りとして伝えられている逸話です。
 老夫婦は、そんなに偉い和尚とは知らず、今まで一度も説法を聞くことがなかったのを悔やみ、次のように願い出ます。
「和尚様、どうかお別れに、一言、説法をお聞かせくだされ」
すると禅師は、
「よしよし、爺さんちょっとここへ、婆さんもちょっとここへ」
と二人を向かいあわせに座らせると、二人の髷をとって、額と額をゴツンと打ちつけてしまいます。
「イタイ!」
二人が思わず額を押さえると、間髪を入れず禅師は言います。
「そこじゃ!そこを忘れるなよ」
 老夫婦にしてみれば、禅師との最後の別れに臨み、どのようなありがたい説法を聴けるかと期待に胸膨らむ思いであったに違いありません。ところが、こともあろうに、互いの額を打ちつけられてしまったのです。
(以下、②/④につづく)

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2016
08.27

イタイ!を忘れるな②/④

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20140914-myousinji.jpg [京都・妙心寺]
  さて、読者は禅師の説法をどのように受け止められるでしょうか?これでは何のことかよく分からないという声もあるかと思いますので、その真意を推理するための手がかりとして、もう一つ禅師にまつわる逸話を紹介します。以前、本ブログで紹介した逸話ですので、ご記憶の読者もあるかと思います。


 上洛した禅師は、花園上皇の離宮をもらい受け、妙心寺として創建するのですが、今でこそ七道伽藍を配する壮大な寺院も、禅師が開山となったころには、雨漏りのする粗末な造りであったようです。
 ある雨の日のことです。禅師の部屋から雲水を呼ぶ声がします。
「何か持ってこい!」
「そら、また雨漏りだ。早く何か持って行け!」
 修行僧たちは大騒ぎです。そのとき、一人の幼い修行僧が台所にあったザルを持って真っ先に飛んでいきます。禅師は、それを見ると言います。
「これだ、これだ。よく持ってきたな。」
 禅師は上機嫌です。そんな禅師のところへ、少ししてから別の修行僧がオケを捜して出して、差し出します。すると禅師は、烈火のごとく叱りとばします。
「バカ者め!そんなものが役に立つか!」


 いかにも「禅」的なやりとりです。禅師は、幼い修行僧の分別のない純粋な心、無心な様子を褒めたのだろうと思われます。

 仏教では、肉体と精神を『色・受・想・行・識』で表します。『色』が肉体です。そして『受・想・行・識』が精神(および精神活動)を表します。そのうちの『受』は、「眼・耳・鼻・舌・身」の5つの感覚器官を通して外部の世界を感受することです。それによって捉えられるのが形であり、声であり、香りであり、味であり、痛みなどということになります。ちなみに『想』は、思うこと、『行』は、行うこと、『識』は、認識することとされます。
 したがって、最初の逸話は、『受』のうちの「身」、つまり、触覚にまつわる話と言えるでしょう。また、二つ目の逸話は、「耳」あるいは「眼」、つまり聴覚、あるいは聴覚に当たるものかと思います。
 これまでも繰り返し述べてきたように、禅の最大関心事は、いかに自我(エゴ)の影響を排除するかということにあります。その先に「悟り」の境地があるというのが私の理解です。
 したがって、本来なら自我(エゴ)を解体してしまい、働かないようにしてしまうのが理想なのでしょうが、それは現実的ではありません。また、それを最終目標としてしまったら、禅宗は“生きる屍”を作り出す宗派ということになってしまいます。自我(エゴ)を抱えながら、その影響を極力抑制しようと努力することの中に、禅の目指す現実的な在り方があるのだと思います。(以下、③/④につづく)

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2016
08.31

イタイ!を忘れるな③/④

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E382B9E382ADE383A3E383B30013-6cbce.jpg [雲龍図(妙心寺法堂)]
 仏教は注目すべき考え方があります。『受・想・行・識』という精神活動は『受』から『想』、『想』から『行』、『行』から『識』と進むにつれて、だんだん自我の影響が強くなるというのです。どのようなことなのでしょうか。たとえば、次のような場合です。


 夜、道を歩いていて郵便ポストにぶつかり「イタイ!」と感じた瞬間、自我(エゴ)が働く余地はないだろうと思います。ところが、しばらくすると、その道に街路灯がないこと、郵便ポストの塗装が剥げ落ち、識別しにくくなっていることなどへの不満が芽生えてくるのかも知れません。そして、次の日には自治区の役所や郵便局に出向き、不満をぶつけながら街路灯の設置やポストの再塗装を要求するかも知れません。また、その際に担当者の対応が悪かろうものなら、喧嘩になることもあるでしょう。そんな事態にでもなれば、自治区や郵便局に対するイメージがどのようなものになるかは、推して知るべしです。


 このように、自我(エゴ)の関与があると 『受→想→行→識』と進むにしたがって、だんだん問題がこじれる場合があります。いえ、私たちは、案外こんな調子で日常生活を送っていることが多いのかも知れません。
 一つ目の逸話に話を戻すなら、「イタイ!」は自我(エゴ)に無関係です。痛いときは、ただ痛いだけです。そこで完結しています。「イタイ!」と感じたら、その部分をさするなどして、次からそこを歩くときにはぶつからないように気をつければ済むことです。
 自我(エゴ)の関与を抑制する生活を心がけることで、余計な苦しみや悩みから解放される…。
 自我(エゴ)が働き出す前の自分こそが本来の自分であり、それを感じながら生きていくことに人としての本道がある…。
 
禅師の説法の真意は、こんなところにあったのではないかと思うのです。
 二つ目の逸話、雨水をザルで受けようとした雲水の話も同様だと思います。「何か持ってこい!」という大声を聞いた雲水は、とっさに側にあったザル手にとり駆けつけました。禅師は、雲水の自我(エゴ)を超越したその行動を評価したのではないでしょうか。『受』の一瞬にこそ意味があるということです。その場に臨み、あれか、これかと悠長に思案しているようでは、禅にあっては及第点はもらえないということなのでしょう。

 ところで、日本には古くから「急がば回れ」という諺があります。成果を急ぐなら、一見遠回りであっても着実な方法をとった方がよい…、こんな意味だと思います。また、よく似た諺に「急いては事をし損じる」というものもあります。あまり急ぐとかえって失敗を招きやすくなるという戒めかと思います。禅師の説法とは真逆の関係にある生活訓です。
 また、その一方で「善は急げ」という言葉があることも周知のとおりです。「よいことをするのにためらうな」ほどの意味です。
 一見して矛盾しているように思われる二つの諺ですが、どちらが正しいかが問題ではないのだと思います。ご承知のとおり、諺というのは、そのときどきの場面や状況などによって、適切に使い分けられるものです。あるときには「善は急げ」となり、また、別のあるときには「急がば回れ」となります。(以下、③/④につづく)

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