2015
02.02

「鬼は内 福は外」②/③

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 節分の時期には、神社や寺院をはじめ、一般家庭でも「鬼は外、福は内」と言って豆をまく風習があります。しかし、去年、豆まきをして鬼はもういなくなったから、今年は止めにしておこうなど思う人はいないでしょう。それが、毎年の恒例行事として行われるのは、鬼はなくなるものではないという暗黙の了解があるからではないでしょうか。鬼は、忌むべき対象でありますが、絶滅されるべきものとしては存在していません。
 「鬼は内、福は外」と唱えるお寺があることを知りました。岐阜県美濃加茂市にある小山観音寺(臨済宗)の話として、ある新聞に紹介されていたものです。曰く「鬼は内、鬼は内、福は外」と。
 「鬼は内」の理由は、厄災が他の家に及ばぬように、全ての鬼を自分で引き受けるためだとありました。自分の家にやってきた鬼は改心させ、寺を護らせるというわけです。そして「福は外」は、福は、自分の寺に招き入れることをせず、他の家に譲るということなのだそうです。いかにも仏教的な発想だと受け止めました。
 また「福は内、鬼も内」と唱える例もあると聞いたことがあります。いつもいつも外にいる鬼が気の毒だから内に入れてあげ、福が外に出てしまわないように見守ってもらう意味があると聞きました。この場合、鬼はガードマンの役割を果たすわけです。
 いずれにしても、鬼を排除する存在でないものとして捉えていくという点が、たいへん日本的(仏教的)だと思います。小山観音寺のお寺の住職の話として、「豆で追い払うべきなのは、鬼でなく、人の鬼心である」とありました。「鬼は人」、「人は鬼」というわけです。先の古歌のように、誰の心にも鬼はいます。そして、鬼はなくならないのです。(以下、③/③へつづく)
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2015
02.06

「鬼は内 福は外」③/③

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 キリスト教には、悪魔という概念があると聞きます。鬼に類似する概念ではありますが、似て非なるものがこの悪魔ではないでしょうか。辞書(広辞苑第六版)を引くと、聖書で敵対者を意味する概念としてあり、「悪および不義の擬人的表現」とありました。悪魔は、常に忌むべき存在として、徹底的に排除されるべきものとされています。
 これに対して鬼には、様々な側面があります。魔よけとして屋根の棟の両端に用いる鬼瓦があります。また、「鬼に金棒」「鬼の居ぬ間に洗濯」「鬼が笑う」「鬼の目にも涙」などの諺もあります。また、「泣いた赤鬼」などという名作童話もあります。さらには、“鬼ごっこ”などは、いつの時代も子どもたちの人気の遊びです。その道一筋の様子を指して「○○の鬼」などと呼ぶこともありますが、これも決して否定的な意味を含むものではありません。このように、鬼は排除されるものとしては存在しません。
  善か悪か、有か無か、白か黒か、損か得かなど、二者択一を迫るのが西欧の価値観・世界観です。これに対して、仏教を含む東洋の価値観・世界観は、極端を嫌います。二つの対極を超越したところに真理があると説きます。
 私たちの心は、ときに善にもなれば、悪にもなります。心の持ち方次第で、鬼にもなれば、仏にもなるのが私たち凡夫です。考えてみると、自分の中に鬼がいることに気づけたときの自分こそが仏なのかも知れません。その意味では、“鬼がいるからこそ仏にもなれる”とも言えます。
 そのことをしっかりと自覚した上で、少しでも仏になる努力をしていくこと、それが鬼も仏も併せ持つ生身の人間として、よりよく生きる道につながっていくのではないでしょうか。(〆)

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次回は「オズの魔法使い」を掲載(3回配信)します。ぜひ、ご訪問ください。
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2015
02.10

「オズの魔法使い」を考える①/③

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  “There is no place like home(ゼア イズ ノウ プレイス ライク ホーム)これは、1939年に公開されたアメリカ映画「オズの魔法使い」の中で、主人公ドロシーがつぶやく台詞です。「我が家ほどいいところは他にない」という意味になるかと思います。
 この映画は、その昔、娘が幼かったとき、レンタル店で借り、最初に試聴させたものでした。字幕スーパーでしたので、就学前の娘にそれを読み取る力はなく、解説しながらの試聴でしたが、魅力的なシーンと音楽の連続のためか、すっかり幼い娘のお気に入りになり、毎日のように試聴していたことを覚えています。
 ご存じの読者が多いかと思いますが、そのあらすじは次のようでした。
 おばさん、おじさんとともにカンザスの農場に住む少女ドロシーは、虹の彼方のどこかに(Somewhere over the rainbow)よりよい場所があると夢見ています。 ある日、彼女は巨大な竜巻に襲われて気を失い、愛犬のトトや自分の家とともに魔法の国オズへ運ばれてしまいます。
 ドロシーは、そこで良い魔女に出会います。そして、黄色のレンガ道をたどってエメラルド・シティに行き、オズの魔法使いに会えば、カンザスへ戻れることと告げられると、途中で出会った知恵のないかかし心を持たないブリキ男臆病なライオンと旅をともにします。
 オズの魔法使いに出会ってみると彼にその望みを叶える力のないことが分かり落胆しますが、再び現れた良い魔女からカンザスへ帰るためのある言葉を教えてもらい、それをつぶやくことで無事に家に戻ることができたというものです。
“There is no place like home” は、最後の場面でドロシーが繰り返しつぶやく、いわば呪文のような台詞です。
 幼い娘のために借りたビデオ映画ではありましたが、この台詞とともに、ストーリーの意外性に心を惹きつけられ、いつしか記憶から離れない映画の一つとなりました。(以下②/③につづく)
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2015
02.14

「オズの魔法使い」を考える②/③

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4b3292a4.jpg [白隠禅師像](松陰寺蔵)

 ところで、江戸時代に活躍した白隠禅師(はくいんぜんじ)の作になる「坐禅和讃」(ざぜんわさん)という短い和語で記された歌があります。何でも、仏教の話に結びつけてしまう悪い癖をお詫びしなければいけませんが、私は、和讃の中のある四句が、映画「オズの魔法使い」の発するメッセージと二重写しになってくるのです。
 和讃では、冒頭の「衆生本来仏なり」に続けて、「衆生近くを知らずして 遠く求むるはかなさよ 例えば水の中にいて 渇を叫ぶが如くなり」と詠われます。
 人間を含め、生きとし生けるものはすべからく仏である(あるいは、仏性を備えている)。ところが、そのことに気づかず、仏が遠くにあるもののように勘違いをして、自分の外ばかりにそれを求めようとするのは誠に空しいことである。その様子は、水の中にいながら、水が欲しいと叫んでいるようなものである…。概ね、こんな意味になります。
 「明珠(みょうしゅ)、手にあり」という禅語もあると聞きました。素晴らしい珠は、求めなくても、すでに手の中にあるという意味です。この場合の珠が、仏(あるいは、仏性)を指していることはいうまでもありません。
 そんなことを言うと、もともと仏なら、初めから何もする必要がないではないかとの声も聞こえてきそうです。しかし、それは違います。何もしないで、それでよしと高を括ってしまう有り様を「自然外道(じねんげどう)」と言うのだそうです。何もせず、自然のままに任せておいて、それで自分は仏であるなどといい気になっているのは、仏道から外れた救いようのない独りよがりだということです。
 仏は確かに自分の中にある。しかし、それを探し求める努力をしない限りは、気づくことができない…。これが、この四句の本意なのだと思います(このことについては、本ブログ「衆生本来仏なり」〈2014.4.16~4.28〉でも触れていますのでご参照いただければ幸いです)。
 映画の中では、ドロシーがオズの魔法使いに会うために、かかし、ブリキ男、ライオンとともに、苦労しながら旅する様子が克明に描かれていますが、その姿こそがそのことを表しているのではないでしょか。(以下③/③につづく)
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2015
02.18

「オズの魔法使い」を考える③/③

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 映画の中で、主人公のドロシーは、虹の彼方のどこかに、よりよい場所があると夢見ていました。しかし、最後には、故郷のカンザスが一番の場所であったことに気づきます。そのときの台詞が、冒頭で記した“There  is  no  place  like   home”でした。つまり、彼女にとって、文字どおり「我が家ほどいいところは他になかった」というわけです。
 一方、同行した知恵がないかかし、心を持たないブリキ男、臆病なライオンも、自分たちにないもの求めて旅を続けますが、最終的には、それらがすでに自分に備わっていたことに気づきます。 
  思えば、彼らの努力は、「水の中にいて 渇を叫ぶが如く」ようなのものであったかも知れません。実は、スタートがゴールであったのですから…。
 しかし、それは困難を乗り越えたからこそ得られた貴重な真理でもありました。この映画の発している重要なメッセージは、ここにあるのだと思います。
 これを仏教的な視点から眺めるなら、よりよい場所を求めたドロシーの心そのものが、「我が家ほどいいところは他にない」と気づいた心でもあったということになります。かかし、ブリキ男、ライオンの場合も同様です。自分にないものを求める心が、それらがすでに備わっていたことに気づく心でもあったのです。仏を求めようとする心そのものが仏であるということです。
  仏教には「煩悩即菩提」という言葉があります。「煩悩」と「菩提(悟りを開き仏になること)」とは同じものだということです。「煩悩」というのは、私たち凡夫の心身を煩わせ、悩ませる迷いです。それが、仏になることと同じというのは、どのようなことなのでしょうか。
 くどい説明は不要かと思います。ドロシーの願い、そして、かかし、ブリキ男、ライオンの願いは「煩悩」に他なりません。そして、その「煩悩」がエネルギーとなって、「菩提」、つまり大切なものは、遠い先にあるのではなく、実は最も近いところにあったという深い自覚に結びついたということです。
 「衆生近くを知らずして 遠く求むるはかなさよ」。この二句こそは、仏を外に求めるのではなく、それを自分の内側に求めていくことにこそ、人間としての本道があるという、禅の立場を述べたものだと思います。

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 それにしても、映画「オズの魔法使い」が、今から70年以上も前に作られたものであることには驚かされます。カンザスでの話をモノクロで描き、オズの国での話をテクニカラーで描くという斬新な演出も光ります。また、映画の中、主人公のドロシーが歌う楽曲「虹の彼方に」も、美しく、たいへん魅力的です。加えて、太平洋戦争勃発直前の時期、このような映画を作成する風土がアメリカにあったということも注目に値すると思います。
 自らの心の内側を見つめることの大切さを伝えようとしたこの作品の精神は、いつまで経っても、色あせることはないのではないでしょうか。
 さらに、それが白隠禅師の「坐禅和讃」の中に込められた精神と酷似していることに、私は大きな関心を抱かずにはいられません。(〆)

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次回は、「葬式仏教を考える」を掲載(3回配信)します。ぜひ、ご訪問ください。


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2015
02.22

「『葬式仏教』を考える」①/④

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 「葬式仏教(そうしき ぶっきょうという言葉があります。説明するまでもないかとは思いますが、「葬式仏教」とは、葬式(法要なども含む)をするときしか必要とされない仏教の有り様を揶揄したもので、本来の仏教から隔り、形骸化した仏教の姿を批判するものと受け取ることができます。仏教関係者の中には、この言葉を忸怩たる思いで受け止めている人も多いかと思います。また、逆に、このような批判は、寺院経営の現状に対する無知、無理解によるものと反論する向きもあるかも知れません。
 ところで、仏教の開祖である釈迦は、生涯にわたって一度も葬式を出していなせん。法要もしていません。また、釈迦が亡くなったとき、弟子の誰も葬儀をしていません。
その様子は、次のように伝えられています(「ブッダの教え」青春出版社より)。
 生前、釈迦は、その弟子たちに次のように語ったと伝えられている。曰く、「出家者はブッダ(釈迦自身のこと)の葬儀に関わってはいけない。それらのことは在家信者たちがやってくれるだろう」と。
 釈迦が入滅すると、愛弟子のアーナンダにより、町(クシナガラ)の人々へ伝られました。それを聞いた町の人々は、手に手に香や花、楽器などを持ち、釈迦の遺体を供養するためにやって来ました。
 丸一日、たくさんの町の人々により、焼香、散華、音楽などにより供養が施された後、釈迦の遺体は七日の間、クシナガラ町を巡りました。そして、その後、棺に収められ荼毘に付されました。積み上げられた薪はひとりでに燃え上がったとも伝わります。
 このように、仏教の祖である釈迦は、「葬式仏教」に全く縁もゆかりもありません。また、これ以降も、弟子たちは同様の立場をとっています。
 「では、そもそも本来の仏教の在り方とは何か?」。こんな質問があるのかも知れません。仏教の根本問題に属する事柄であり、軽々に論じることはできませんが、一般論としては、次のように説明されてると理解しています。
 ・釈迦(仏)の教えを伝えること
 ・釈迦の教えを学び、仏になる(周りの人々を仏にする)こと
 ところで、ラジオ放送で、日本でいわゆる「葬式仏教」が誕生したいきさつについて極めて興味深い事実があることを知りました。松尾 剛次氏(山形大学人文学部教授 宗教社会学)の話でした。その要点は次のようなものでした。(以下、②/④につづく)

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2015
02.26

「『葬式仏教』を考える」②/④

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 日本では中世(平安時代末期~戦国時代末期)まで、亡くなった人は、河原や浜、道路わきの溝などに捨てられていた。死穢(しえ)、つまり死者に触れたり、埋葬などに携わることで生ずる穢れが忌み避けられていたからだ。そんな中で、人々がその弔いを託したのが僧侶たちであり、それが葬式仏教の起こりである・・・。

 日本人が仏教に求めたことと、仏教が果たした意義を改めて考える上で、たいへん興味深い話でした。 
 では、当時の僧は、いったいどのような仕事をしていたのでしょうか。調べてみると次のようなことが分かりました。
 平安時代、僧はほとんどが官僧でした。官僧というのは、いわば国家公務員のようなもので、たいへん難しい国家試験を通らなければなれませんでした。そして、合格した僧は、エリート国家公務員としてその役割を果たす義務がありました。その仕事はと言えば、天皇と国家のために祈ることに限られ、民間への布教は禁じられました。また、天皇のために祈ることを役割としたために、死者に触れたり、埋葬したりすることは許されませんでした。したがって、当時の僧には葬式などできなかったのです。
 このような仏教の有り様に疑問を感じたのが、平安時代末に活躍した法然でした。法然も比叡山で修行と勉学に励むエリート官僧でしたが、仏教の教えは天皇と貴族のためだけにあるのではないという考えから、比叡山を下りて民衆に布教しはじめます。ちなみに、こうして法然が打ち立てた宗派が浄土宗です。
 法然に続いて道元栄西親鸞日蓮、あるいは叡尊忍性といった僧たちが、官僧の道を捨てて民衆へと布教を始めました。これが、鎌倉仏教と総称される新しい仏教の動きでした。
 鎌倉仏教の僧は、官僧ではありません。遁世僧(とんせそう)と呼ばれます。このため、彼らには葬式もできました。彼らは、それまでは供養もされず、ただ捨てられるだけだった死者に対して、民衆から託される形で、救済の意味を込めて葬式を執り行うようになっのです。これは、従来からのタブーを破るものであり、世界の仏教史のなかでも画期的なことでした。
 このように、仏教が広く民衆のものになったとき「葬式仏教」も誕生したと言えるのです。(以下、③/④につづく) 

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