2014
04.04

「二度の死」②/②

Category: 未分類
etc_32.jpg 

 人は、母親の胎内で極微細な細胞として現れます。これが「地」です。その後、これに血液や体液など「水」が加えられて「地」は成長していきます。そして、次に体温が生じます。これが「火」です。そして、最後に母親の胎内から外へ出ることにより呼吸を始めます。これを「風」とするのです。
 人が死に臨むとき、この順序を逆にして説明されます。最初に呼吸、つまり「風」が止まり、次に体温、つまり「火」が失われます。そして、体内の水分、「水」がなくなり干からびると、最後には亡骸、つまり「地」だけとなります。言うまでもなく、最終的には、「空」の世界に戻ることになります。
 このことは、人のみ限らず、生きとし生けるものの生死に共通する問題でもあります。仏教の考えに随えば、生きとし生けるものは、四大の「仮和合(けわごう)」、つまり、仮の姿として生じるとされます。「地・水・火・風」の四大が、たまたま偶然に、今の姿で出現しているに過ぎないという訳です。
 この考えによれば、母の身体は分離し、すでに「地(土)」になり、「水」になり、「火(熱)」「風(空気)」になっているということです。いえ、一周忌を迎える今、「仮和合」によって、姿を変え、この世で新たな生を受けているかも知れません。あるいは草花、樹木等として…、あるいは穀物や野菜、果物等として、はたまた虫や鳥、魚、動物等として…。
 これらの中には、私たちが日々食糧として体内に採り入れているものもあります。そうだとすれば、すでに母は私たちの体内にあって、今も生き続けているようにも思えてきます。そればかりか、母の生に支えられて私たちの今の生があるという見方さえも可能です。
 このように、「四大」の思想によれば、この先も、母は、姿や形を変化させながら、永遠に生き続けるということにもなります。ただ、それは母だけに限ったことではありません。今を生きている私たち自身も、見方を変えれば、永遠を生きる存在であるということになります。私は、ここに救われるのです。
 図らずも、マザーコンプレックスを披瀝することとなりましたが、こんな発想にたどり着けたのも、母のお陰と思っています。(〆)


IMG_4954.jpg
※クリックすると拡大して見られます。
スポンサーサイト
Comment:0  Trackback:0
2014
04.12

「衆生本来仏なり」①/⑤

Category: 未分類
tg12.jpg [千日回峰行]

 友人と仏教の思想について話し合う機会がありました。その折に、比叡山延暦寺の創建者である最澄(さいちょう)の仏教思想が話題となりました。
 本ブログ「十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)」でも紹介したように、最澄が傾倒した「法華経(ほけきょう)」の思想は、「仏性(仏になる性質)」は、生まれながらにして全ての人に備わっており、それを導き出す役割を担うのが『法華経』である」とする考え方です。これは、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という言葉に象徴される大乗仏教の根本思想です。ちなみに、一乗仏教の思想とも呼ばれます。
 このとき、友人から次のような問いかけがありました。それは、“全ての人に仏性があるのなら、そのための努力は不要ではないか”というものでした。
 もっともな疑問だと思いました。ただ、「仏性」の意味については、確認する必要があると考えました。「仏性」というのは、あくまでも仏になるという性質あるいは仏になるための種とも言えるものです。
 そこで、すぐさま、延暦寺で行われている千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)の話をしました。千日回峰行は、延べ千日間にわたり、比叡山の山中を巡る荒行です。一日の移動距離は、七里半(約30キロ)と言います。また、その間には、不眠、不臥、断食、断水の9日間を過ごす、「堂入り」というたいへん過酷な行もあると聞きます。
 最澄の教えによれば、その先に成仏(仏になること)があるということです。つまりは、仏になるためには、修行が必要であるということです。(以下、②/⑤につづく)   

IMG_8901.jpg 
※クリックすると拡大して見られます。

Comment:0  Trackback:0
2014
04.16

「衆生本来仏なり」②/⑤

Category: 未分類
84025m.jpg [釈迦像]

 約2500年ほど前、仏教の創始者である釈迦は、その最期のとき「自灯明、法灯明」という言葉を残しています。愛弟子の阿難尊者(あなんそんじゃ)からの「あなたの死後、誰を頼りにすればよいのでしょうか?」という問いに対する答えだったと伝えられています。
 「自灯明」とは、「自らを拠り所にせよ」ということです。しかし、これは、決して自分勝手なふるまいをしてよいということではありません。「諸行無常(永遠の変転性)」、「諸法無我(無限の関係性)」という宇宙の真理に随って生きなさいというアドバイスです。「法灯明」も同じ意味です。
 したがって、「拠り所となる自分」とは、この宇宙の真理に目覚めた自分のことであり、それこそが自らの中にいる仏ということなのだと思います。
 また、釈迦は、「学ぶことが少ないものは牛のように老いる。その肉は増えるが、智恵は増えない」とも述べています。これなどは、努力なくして仏になることは叶わないという、釈迦からの警句とも受け取られます。 
 さらに、時代は下りますが、白隠禅師(江戸時代に活躍した臨済宗の傑僧)、は、その『坐禅和讃』の中で「衆生本来仏なり…衆生の他に仏なし」、さらに「この身すなわち仏なり」と、短い和讃のなかで、三度にわたって人に仏性があることを説いています。
 しかし、ご存じのように、禅宗(とりわけ臨済宗)にあっても厳しい修行があります。真冬の時期、7日間にもわたって、横になることも許されずに行われる坐禅の修行も、難解な公案(禅問答)への挑戦もその中の一つだと思います。
 もちろん、これらは出家者に求められる、いわば特殊な努力の在り方ではあります。一般の人々にこんな課題をこなすことは不可能です。
 しかし、宇宙の真理に目覚め、自らの中にいる仏(もう一人の自分)を見つけるという仏教徒に共通する最終目的にかわりはありません。(以下、③/⑤につづく)   

IMG_8928.jpg 
※クリックすると拡大して見られます。
Comment:0  Trackback:0
2014
04.20

「衆生本来仏なり」③/⑤

Category: 未分類
110925azumaiyoshiosenseinokoto.gif [東井義雄氏]

 結局、釈迦が説いた「人の依るべき真理」に気づくには、プロセスが必要だということでしょう。私たち凡夫にあっても、ただ腕をこまねいていては、その真理にたどり着けないということなのだと思います。それには、問題意識に目覚め、目的意識を抱きながら努力すること、そして、何よりも、そのことを通して、やがてはその真理を体得できるという強固な信念が必要なのだと思います。

 ところで、仏とは一体、何なのでしょうか?どのように考えたらよいのでしょうか?『般若心経』の一節に「不生不滅、不垢不浄、不増不減」、また「無眼耳鼻舌身意」とありますが、生まれもせず、滅することもなく、汚れることもなく、清らかでもない、増えることがなく、減ることもない、そして、見ることも聞くことも、嗅ぐことも、味わうことも、触れることもできないものであることは確かです。しかし、私たちの中に例外なくあるといいます。考えれば考えるほど、不思議なことです。
 そこで、一つの手がかりとして、青山俊薫氏(愛知専門尼僧堂堂長)の講話の中で紹介されていた、たいへん興味深い話を知りました。著名な教育者であり、浄土真宗の僧侶でもあった東井義雄氏にかかわる実話として紹介されていました。
 尊敬申し上げていた東井義雄先生が、以前夜遅くお寺にお帰りになったとき、深夜1時ころに電話が入ったそうです。受話器をとってみると、男の方の切羽詰まった声で
 「世の中の人がみんな私を見捨てた。裏切った。生きていく勇気がなくなったから、今から首を吊って死のうと思う。けれど一つだけ気になることがある。南無阿弥陀仏と唱えて死んだら救ってもらえるか」
という電話だった。
 「待ってください。あなたの気まぐれな『南無阿弥陀仏』くらいで救われるものですか。そんなことよりも、あなたはまわり中が見捨てた、裏切ったと言うけれど、一刻も見捨てずに『つらかろうけれど生き延びてくれよ』と働きかけ、呼びかけてくださる、その方の声が聞こえないのか」
 「そんな声、どこにも聞こえやしない」
 「死のうとしているそのときも、あなたの心臓がどきどきと動いているでしょう。あなたの呼吸が出入りしているでしょう。死なせてなるものか、乗り越えてがんばってくれよと、あなたの心臓を働かせ、あなたの呼吸を出入りさせてくださっているそのはたき、それを仏と呼ぶんだ。その他に仏がいると思うか!」…

 これが、仏のすべてを語ったものでないことは言うまでもありません。本ブログ「答えないという答え」でも書いたように、仏を言葉にすることはできません。しかし、仏教によれば、仏は、森羅万象に現れています。その意味では、東井氏の言うように、「私たち自身」の中にも仏があるということです。
(以下、④/⑤につづく)


IMG_8917.jpg 
※クリックすると拡大して見られます。
Comment:0  Trackback:0
2014
04.24

「衆生本来仏なり」④/⑤

Category: 未分類
2.jpg

 以下、その前提に立って、私見を述べてみたいと思います。「私たち自身」の中にも仏があると言いましたが、それ身体だけに限らず、心にもあるのではないかということです。
 「般若心経」には「色受想行識」と言う言葉が出てきますが、これは肉体と精神のことを指したものです。「色」は肉体、「受想行識」は精神です。そして、これらは、全て「空」であるとされます。「空」は仏とは同義です。したがって、仏は肉体のみでなく、心にも宿るということです。
 こんなことを言うと、いぶかしく受け止められている読者も多いと思います。このことについては、以前、子ども向けに綴った本ブログ「仏さまはいらっしゃる」でも触れましたので、少し長くなりますが、一部を再掲させていただきます。
 
 「仏さま」には、姿がありません。だから、その姿を見ることができません。でも、姿は見えなくても、「仏さま」を感じることはできます。なぜかというと、「仏さま」に姿はありませんが「心」はあるからです。皆さんは、その「心」を通して、「仏さま」を感じることができるのです。それは、どんなときでしょうか。
 皆さんは、よいことをしたとき、嬉しくなるでしょう?それは、皆さんの体の中の「仏さま」が喜んでいらっしゃるからなのです。また、きれいな花を見たとき、嬉しい気持ちになるでしょう?それは、皆さんの体の中の「仏さま」が嬉しい気持ちになっていらっしゃるからなのです。
 また、街の中で体の不自由な人やお年寄りが苦労されているのを見ると助けてあげたいなと思うことがあるでしょう。それは、皆さんの体の中の「仏さま」が助けてあげたいなと思っていらっしゃるからなのです。また、だれかが大きなケガや病気をしたり不幸になったりした様子を見ると、心が苦しくなるでしょう?それも、皆さんの体の中の「仏さま」が苦しくなっていらっしゃるからなのです。 
 また、悲しい目にあうと悲しい気持ちがするでしょう?これも、皆さんの体の中の「仏さま」が悲しい思いをしていらっしゃるからです。そして、友だちと喧嘩をして、意地悪をしたとき、少し時間が経つと悲しい気持ちになることがあるでしょう?これも、皆さんの体の中の「仏さま」が悲しい気持ちになっていらっしゃるからなのです
。(以下、⑤/⑤につづく)  


IMG_8937.jpg 
※クリックすると拡大して見られます。
Comment:0  Trackback:0
2014
04.28

「衆生本来仏なり」⑤/⑤

Category: 未分類
yjimageCA21FSAX.jpg

中略)「仏さまの心」に、わたしとあなたという区別はありません。そもそも「仏さま」に、わたしという心はありません。そして、(「仏さまの心」は、いつも皆さんの体の中にあって)ただあなたが幸せになることを願い、一生懸命に働いてくださっているのです。 


 読者の皆様が、どのような受け止めをされるかは分かりません。そもそも、私たちが、自らの中にいる仏(もう一人の自分)を見つけることにどのような意味があるのかという疑問もあるかも知れません。
 それに対しては、次のように考えます。
 仏の心は、共感・共苦の感情と言ってもよいか思います。「自他一如」を感得できる心とも言えるかと思います。先の文章にもあるように、仏の心に、わたしとあなたという区別はありません。
 このように、仏を意識するということは、広く、深く他者につながる自分を意識するということに他なりません。それは、いつも言うように「わたし」は「わたし」であると同時に、「あなた」でもあるという真理に同化することです。
 自らの中にいる仏(もう一人の自分)を意識することで、自分中心(自己中心)の見方が是正されるのではないか…、それにより、自分中心(自己中心)のものの見方、考え方から生じる様々な苦しみや悩みから解放されるのではないか…、その意味では、それを感得するために努力することは、決して無駄なことではない…。こんなふうに思うのです。
 購読している書籍から、次のような一文を見つけ、共感的に受け止めました。


 「わたし」という、この得体の知れない意識をもう一度疑ってみる必要がある。自意識の「わたし」なのか、自覚の「わたし」なのか。実は、今この日本で一番怪しいのは「わたし」。その「わたし」という生活習慣病にとり憑かれたこの「わたし」をどう克服するのか。そこには「自覚」と言う手術、いや脱皮を果たすしか道はない。それがこの国を再生させる第一歩である…。」(MOKUvol.247)


 文中の「『自覚』という手術、脱皮」が、まさに自らの中にいる仏(もう一人の自分)を発見するための努力ではないでしょうか。
 ご意見、ご批正をお待ちしています。(〆)


IMG_3301.jpg 
※クリックすると拡大して見られます。
次回は、子供に向けた仏教説話から『リーダーの条件』を掲載します。ぜひ、ご訪問ください。
Comment:2  Trackback:0
back-to-top