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2018
10.19

ドライブレコーダーの効用 ①/③

Category: 未分類

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 ドライブレコーダーを購入しました。高齢者による交通事故が増えている現状もさることながら、我が身にあっても、交通事故は人ごとではなくなったからです。高齢者の仲間に入り、視力、運動能力、判断力の衰えなど、若い頃と同じような運転はできない状況になりました。正直、運転が怖くなったと感じることもあります。
 事故の原因を特定する上で、ドライブレコーダは大きな役割を果たします。それは客観的な目撃者であり、動かぬ証拠の保有者でもあります。交通事故に遭遇した場合、自らに非がないことを証明する手立ては乏しいものです。こちらに非がなくても、相手に悪意があれば、こちらが不利な状況に追い込まれることも考えられます。その意味では、ドライブレコーダーは、頼もしい味方でしょう。

 購入後、早速、車にセットし、電源を入れて走ってみました。そして、走行後、パソコンで再生すると、鮮明なその画像には驚かされました。広角レンズによる高画素の録画は、想像以上の美しさでした。これで、一安心だと思いました。
 しかし、少しして別の考えが浮かびました。ドライブレコーダーは、自らに非がないことを証明してくれるものではありますが、同時に、逆の場合もあり得るということです。つまり、ドライブレコーダーは自分自身の非を証明するツールにもなり得るということです。
 その時、これからの運転は、今まで以上に慎重にしなければならないとの思いが湧いてきました。そして、同時に次ような疑問が頭を過ぎりました。
 -ドライブレコーダーを装着する前の自分と装着してからの自分は、果たして、どちらが本当の自分なのだろうか-。(以下、②/③につづく)

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2018
10.11

ギャラリー66

Category: 未分類
◎これまで掲載した水をテーマにした写真を「ギャラリー66」としてまとめました。 

 水は百面相 どれも水の顔には違いない 
 しかし どれも本当の顔ではない 
 心も同じこと


今回の写真は、すべて阿知波池(豊田市)で撮影したものです。
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次回は、「ドライブレコーダーの効用」を掲載します。ぜひご訪問ください。

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2018
10.07

「仏」らしく生きる ②/②

Category: 未分類
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 仏教では、永遠なるもの、無限なるものは「仏(あるいは仏性)」と呼ばれますが、禅にあっては、自らの中にそれを見出すこと、正確には自らに内在する「仏」を見届けることが最終目標とされます。自分と「仏」が一つになるということですが、言い換えるなら、それは「新たな自分(もう一人の自分)」になることでもあります。禅宗寺院の僧堂などで行われる厳しい修行は、そのために行われるのだと聞きます。禅宗にあっては、「新たな自分」になることが「仏になる」ことであり、それが「人になる」ことであるという理解です。
 ただ、私たち在家の者が「仏」となることなど容易なことではなありません。煩悩まみれの我が身を省みたとき、そんな願いを抱くこと自体、おこがましいことです。
 そんな折、ひろさちや氏の言葉に出会いました。それは、「そもそも私たちが何のために仏教を学ぶかと言えば-仏らしく生きるため-という言葉でした。
 「仏になる」ことは簡単ではないが、「仏らしく」生きることならできるかも知れない…。それが「人になる」ことに通じるのでは…。勝手な解釈ではありますが、こんな受け止めをしました。そして、何か救われるような思いにもなりました。
 では「仏らしく生きる」(言い換えるなら「人となる」)とはどのようなことなのでしょうか。
 大きなテーマだけに軽々な見解は許されません。また、浅学な我が身にその回答を披瀝する力はありません。ここは、謙虚に仏教の開祖、釈迦の言葉に耳を傾けたいと思います。「経集(スッタニパータ)」の中にある「慈しみ」と題された言葉です。
「慈しみ」
 一切の生きとし生けるものは
 幸福であれ 安穏であれ 安楽であれ
 何人も他人を欺いてはならない
 たといどこにあっても
 他人を軽んじてはならない
 互いに他人に苦痛を与えることを
 望んではならない
 この慈しみの心づかいをしっかりと保て 
(中村 元訳)
 永遠、無限の世界と一体となり、「悟り」を開いた覚者(仏)からの、永遠、無限の世界に二元対立はないという説諭です。私たちには、誠に高いハードルではあります。しかし相対差別の世界を生きる私たちも、常にこのような視座を失ってはならないのだと思います。
 恥ずかしながら、私には作詩の力はありません。他者に対して少しでも「慈しみ」の心を持つこと、それが「仏らしく生きる」ことに通じるとしたら、私も実践努力目標としていきたい思うのですが、ご都合主義が過ぎるでしょうか。読者はどのように思われるでしょうか。(〆)
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2018
10.03

「仏」らしく生きる ①/②

Category: 未分類
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 車の運転をしながらラジオ放送(NHKカルチャーラジオ)を聞いていたとき、興味深い話に耳を傾けるところとなりました。「詩と出会う 詩と生きる」と題した講話でした。“詩がこの世界と永遠なる世界と橋渡しをする”という趣旨の話でした。番組の中で、講師(若松英輔氏)は、次のように語っていました。
 我々の中にあって、過ぎ去らないもの、永遠なるものをまざまざと見せてくれるものが詩の役割である…。人間というのは死んでしまったら終わりか、目の前から姿がなくなったら終わりなのか、いやそうではない。我々のこの世界では姿は見えないが、何とも言えないような存在が側にいるような気がする…。そういうことを歌い上げた詩人はたくさんいる…。むしろ詩というのはそういうところから生まれてきた…。言葉というものがこの世界と永遠なる世界と橋渡しをしてくれる。
 この世は「諸行無常」であり、全てのものは移ろい、形を変えていきます。その現実を直視した古今東西の多くの詩人は、永遠なるものと縁を結ぶことを目指して詩文を作ってきたということです。大いに共感するところがありました。
 詩を含め、文化や芸術などは、永遠なるもの、つまり人知の及ばぬものに対する憧れや畏れを表現したものではないかと思うのです。それが詩や文学となり、あるいは絵画や音楽になったのではないでしょうか。乱暴な見方かも知れませんが、永遠なるものと縁を結ぼう、あるいは縁を保とうとする営みこそは、人が人であることの証に他ならないと言えるのではないでしょうか。
 ところで、放送を聴いた後、独り言のようにこんな感想を口にしていると、助手席にいた妻から、思いがけない反応がありました。曰く「自分はまだ人間になっていないような気がする」と。
 妻の真意がどこにあるか定かではなかったのですが、そのとき、「人になる」とは、果たしてどのようなことか、改めて自問するところとなりました。それは人が生きる意味や目的に対する大きな問いでもあると思いました。

 以下、またぞろ抹香臭い話しかと思われるかも知れませんが、仏教(とりわけ禅)の考え方を足場にして考えてみました。(以下、②/②つづく)
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2018
09.29

一枚の皿から ②/②

Category: 未分類

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 仏教の根本思想の一つに「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)があります。この世の生きとし生けるものは、例外なく仏性があるということを述べたものですが、「仏性」はそのまま「命」と置換えられます。この世に存在するものは、すべからく「命」の実物とも言えるものです。そして、私たち人間は、動物や植物など、いわゆる無情のものたちからその「命」をいただくことによって、自らの「命」を保っています。
 「生死一如(しょうじいちにょ)という言葉があります。私たちの体内で行われている新陳代謝が連想させられますが、これとは別の意味もあると思います。自分が命をつなぐ(生)ということは、他者の命をいただく(死)ことでもあるということです。その事実を踏まえ、仏教徒は、食事の前には「いただきます」、食事の後には「ごちそうさまでした」と、両手を合わせ、懺悔(ざんげ)と感謝の念を表明するのだと思います。
 
 ヨーロッパ(デンマーク)で造られた一枚の飾り皿との出会によって、思いがけなくも「命の循環」について考えさせられるところとなりました。人間は自然の一部であり、自然界で営まれる無限・無常の「命の循環」の内に身を置くことで命脈を保っています。
 
私見ではありますが、これは人間誰もが有している本源的な自覚でもあるのだと思います。この飾り皿は、それが洋の東西はもちろん、時代をも超えて息づいていることをよく示しているのではないでしょうか。
 読者の皆さんは、どのように感じられるでしょうか。(〆)

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